事業名:東京興信所
東京興信所
中央区
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京興信所(日本橋区南茅場町23番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.141 東京興信所
画像名:東京興信所
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市日本橋区阪本町四十三番地
一 目的事業 商工業者の資産及営業の状況を調査報答して商工社会信用の発達を助け、銀行其他商工業者に営業上の便利を与ふるに在り
一 創立年月日 明治二十九年二月六日
一 沿革
当所は、明治二十九年日本銀行を始め京浜間に於ける有力なる銀行二十六行の発起により、青淵先生其創立委員長となり、如上の目的を以て設立したるものにして、最初仮事務所を日本橋区阪本町銀行集会所内に設けしが、後現在地即同区阪本町四十三番地に移転せり、当所は創立以来其成績甚た良好にして、調査範囲の拡張と共に、横浜、函館、小樽に各々出張所を設け、又静岡、浜松、新潟、長岡、長野、甲府、宇都宮、栃木、足利、上諏訪、豊橋、岡崎、高崎、仙台、札幌、旭川、富山、高岡、川越の諸都市に派出所を置き、一面には大阪の商業興信所と聯絡を通して相互報答を交換し、進んて全国各府県の市町に通信取調の途を開き、各地商工業者の資産及ひ信用は問合に応して直ちに審にし得るの便法を設けたり、又当所は明治三十二年米国興信所の巨擘「ブラッドストリート」会社と相互報答交換の約を締結し、更に明治四十年所長森下氏業務視察の為め米国に赴くや、同会社との間に一層適切便利なる契約を締結し、尚翌四十一年伯林「シメルヘング」興信所と報答交換の特約を締結し、斯くて欧米諸国に於ける商工業者を調査して問合に応し得ることとなりたり、左れは当所の問合報答件数は年と共に増加し、今や一箇年約七万件を算するに至れりと云ふ、
一 当所と青淵先生との関係
青淵先生は当所創立の首唱者にして、引続き今日に至る迄其評議員会長たり、
一 現任役員
   評議員会長 男爵渋沢栄一  評議員 豊川良平
   評議員 早川千吉郎  評議員 池田謙三
   評議員 川島忠之助  所長 森下岩楠
   理事 堀井卯之助
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渋沢ゆかりの地

事業名:東京興信所
東京興信所
中央区
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京興信所(日本橋区南茅場町23番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.141 東京興信所
画像名:
東京興信所
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市日本橋区阪本町四十三番地
一 目的事業 商工業者の資産及営業の状況を調査報答して商工社会信用の発達を助け、銀行其他商工業者に営業上の便利を与ふるに在り
一 創立年月日 明治二十九年二月六日
一 沿革
当所は、明治二十九年日本銀行を始め京浜間に於ける有力なる銀行二十六行の発起により、青淵先生其創立委員長となり、如上の目的を以て設立したるものにして、最初仮事務所を日本橋区阪本町銀行集会所内に設けしが、後現在地即同区阪本町四十三番地に移転せり、当所は創立以来其成績甚た良好にして、調査範囲の拡張と共に、横浜、函館、小樽に各々出張所を設け、又静岡、浜松、新潟、長岡、長野、甲府、宇都宮、栃木、足利、上諏訪、豊橋、岡崎、高崎、仙台、札幌、旭川、富山、高岡、川越の諸都市に派出所を置き、一面には大阪の商業興信所と聯絡を通して相互報答を交換し、進んて全国各府県の市町に通信取調の途を開き、各地商工業者の資産及ひ信用は問合に応して直ちに審にし得るの便法を設けたり、又当所は明治三十二年米国興信所の巨擘「ブラッドストリート」会社と相互報答交換の約を締結し、更に明治四十年所長森下氏業務視察の為め米国に赴くや、同会社との間に一層適切便利なる契約を締結し、尚翌四十一年伯林「シメルヘング」興信所と報答交換の特約を締結し、斯くて欧米諸国に於ける商工業者を調査して問合に応し得ることとなりたり、左れは当所の問合報答件数は年と共に増加し、今や一箇年約七万件を算するに至れりと云ふ、
一 当所と青淵先生との関係
青淵先生は当所創立の首唱者にして、引続き今日に至る迄其評議員会長たり、
一 現任役員
   評議員会長 男爵渋沢栄一  評議員 豊川良平
   評議員 早川千吉郎  評議員 池田謙三
   評議員 川島忠之助  所長 森下岩楠
   理事 堀井卯之助
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