事業名:南湖神社
南湖神社立柱祭(大正10年5月5日)
白河市
画像1
[撮影日] 1921(大正10)年5月5日 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは南湖神社を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.144 
画像名:南湖神社地鎮祭(大正10年5月5日)
文献に記載されている解説文等:
[P.144] 栄一が終生院長として指導した養育院は江戸の七分金という市民共有金に発した。七分金は松平定信の制定したものであったから、栄一は養育院は定信に由来すると言い、深く尊敬していた。定信の命日十三日を養育院登院の日としたのもそのためである。大正十年五月五日、福島県白河町に定信を祀る南湖神社の地鎮祭【←誤。正しくは立柱祭】が催され、栄一は出席した。更に大正十四年定信(楽翁)の伝記編纂を企てて編述を三上参次に依嘱し、自ら序文を書いたが、「楽翁公伝」の完成は栄一歿後の昭和十二年であった。
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渋沢ゆかりの地

事業名:南湖神社
南湖神社立柱祭(大正10年5月5日)
白河市
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ピンは南湖神社を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.144 
画像名:
南湖神社地鎮祭(大正10年5月5日)
文献に記載されている解説文等:
[P.144] 栄一が終生院長として指導した養育院は江戸の七分金という市民共有金に発した。七分金は松平定信の制定したものであったから、栄一は養育院は定信に由来すると言い、深く尊敬していた。定信の命日十三日を養育院登院の日としたのもそのためである。大正十年五月五日、福島県白河町に定信を祀る南湖神社の地鎮祭【←誤。正しくは立柱祭】が催され、栄一は出席した。更に大正十四年定信(楽翁)の伝記編纂を企てて編述を三上参次に依嘱し、自ら序文を書いたが、「楽翁公伝」の完成は栄一歿後の昭和十二年であった。
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