事業名:岩越鉄道株式会社
旧岩越鉄道株式会社阿賀川架橋工事
会津若松市
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 (青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.71 岩越鉄道株式会社
画像名:旧岩越鉄道株式会社阿賀川架橋工事
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市
一 目的事業 福島県郡山より新潟県酒屋に至る鉄道を敷設して旅客及貨物の輸送を営む
一 創立年月日 明治三十年五月二十六日
一 解散当時払込金総額 弐百六拾四万円
一 同上積立金 弐万参千円
一 壱箇年利益金及配当金割合 当社は未た線路の全通を見すして政府に買上られたるを以て、営業中予期の利益を収むるを得す、利益配当は参四分の間に止まれりと云ふ、
一 沿革
当社は明治三十年五月青淵先生及宮内盛高氏等十余名の人々胥謀り、福島県郡山より新潟県酒屋に至る鉄道を敷設して旅客及貨物の運搬を為すを目的とし、資本金六百万円を以て創立したるものなり、当社の線路は元政府が第二期予定線として計画したるものなるが、斯くては歳月の遅延して民情に副はさるものあるを以て、之が速成を期し民業に委ねたるものなるも、線路未た全通に至らすして鉄道国有法の発布に遇ひ再ひ政府の有に属し、終に明治三十九年十一月一日を以て解散するに至れり、現今当社の既設線路は郡山より喜多方間に至る四拾九哩参拾六鎖なりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の創立発起人にして、設立後常に取締役として尽瘁する所ありしが、明治三十八年病の故を以て其任を辞せられたり、
一 現任役員
専務清算人 前田青莎  清算人 中村清蔵  清算人 久野昌一  清算人 瓜生震  監査役 清水宜輝  監査役 小池靖一
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渋沢ゆかりの地

事業名:岩越鉄道株式会社
旧岩越鉄道株式会社阿賀川架橋工事
会津若松市
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[ マップ上の位置情報について ]
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 (青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.71 岩越鉄道株式会社
画像名:
旧岩越鉄道株式会社阿賀川架橋工事
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市
一 目的事業 福島県郡山より新潟県酒屋に至る鉄道を敷設して旅客及貨物の輸送を営む
一 創立年月日 明治三十年五月二十六日
一 解散当時払込金総額 弐百六拾四万円
一 同上積立金 弐万参千円
一 壱箇年利益金及配当金割合 当社は未た線路の全通を見すして政府に買上られたるを以て、営業中予期の利益を収むるを得す、利益配当は参四分の間に止まれりと云ふ、
一 沿革
当社は明治三十年五月青淵先生及宮内盛高氏等十余名の人々胥謀り、福島県郡山より新潟県酒屋に至る鉄道を敷設して旅客及貨物の運搬を為すを目的とし、資本金六百万円を以て創立したるものなり、当社の線路は元政府が第二期予定線として計画したるものなるが、斯くては歳月の遅延して民情に副はさるものあるを以て、之が速成を期し民業に委ねたるものなるも、線路未た全通に至らすして鉄道国有法の発布に遇ひ再ひ政府の有に属し、終に明治三十九年十一月一日を以て解散するに至れり、現今当社の既設線路は郡山より喜多方間に至る四拾九哩参拾六鎖なりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の創立発起人にして、設立後常に取締役として尽瘁する所ありしが、明治三十八年病の故を以て其任を辞せられたり、
一 現任役員
専務清算人 前田青莎  清算人 中村清蔵  清算人 久野昌一  清算人 瓜生震  監査役 清水宜輝  監査役 小池靖一
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