[ 解説 ]
煤煙が少なく火力が長続きする無煙炭は、臭気も無いことから炊事用など薪炭の代用として東京等で高い需要がありました。1901(明治34)年9月、無煙石炭の採掘・販売を目的に茨城採炭が創立されました。渋沢栄一は創立発起人として、また創立後は相談役として同社に関与しています。
1909(明治42)年1月、栄一は同社代表取締役阿部吾市より相談役退任の依頼を受けました。多くの会社銀行が競って栄一に相談役を委嘱する当時の風潮を憂えた阿部は、多忙な栄一を煩わせないよう率先して委嘱を解くこととし、それに対し栄一は「多大の満足を以て其の意を容れ」、さらに必要に応じて同社に対して心添えをすると答えた、と『竜門雑誌』は伝えています。ちなみにその6か月後、栄一は大半の企業・団体の役職も退任しました。
茨城採炭は1925(大正14)年に磐城炭礦と合併し解散しましたが、阿部と栄一はその後も長く交流を続けています。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年~四十二年 / 1部 実業・経済 / 4章 鉱業 / 2節 石炭 / 5款 茨城採炭株式会社 【第15巻 p.426-429】