[ 解説 ]
広島水力電気株式会社は1897(明治30)年に広島の豪商松本清助が、阪谷芳郎の勧めと渋沢栄一の支援を受けて、弟の松本万兵衛らとともに設立した会社です。栄一は設立時には発起人代表として、創業から1905(明治38)年までは取締役会長として、その後は相談役として同社の経営を支援しました。
呉市黒瀬川の広発電所から約20キロ離れた広島市までの送電は後に「本邦に於ける遠距離送電の嚆矢」と称されたものの、当初は需要が少なく、同社が初の配当を出したのは創業5年目のことでした。やがて工場や家庭の電力需要が徐々に増えて経営も軌道に乗った同社について、相談役職を退く折に栄一は「有望な会社」「前途に危険などはなからうと思ふ」と評価しています。
電力供給という側面から呉、広島地域の発展を支えた広発電所は、1944(昭和19)年には増設、その後も姿を変え、後に中国電力株式会社に継承されました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年~四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 22節 電気 / 2款 広島水力電気株式会社 【第13巻 p.29-33】