出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 (青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.69 広島水力電気株式会社
画像名:広島水力電気株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 広島市段原村四十番地一番邸
一 目的事業 電力及電灯の供給並に之に関する機械器具の販売、其他電気工事の設計及監督、
一 創立年月日 明治三十年五月十三日
一 資本金 四拾万円(内払込高参拾四万参千七百五拾円)
一 積立金 五万千四百円
一 電灯及電力供給高
電灯 壱万参千〇六拾五箇
電力 五百拾六馬力
一 壱箇年利益金 九万四千百五拾円
一 配当率 年弐割
一 出張所 呉市和庄町百七十四番地次四番邸
一 沿革
当社は明治三十年五月松本清助、松本万兵衛、藤田譲夫、野村保諸氏の首唱に基き、青淵先生、大倉喜八郎、浅野総一郎、梅浦精一、大川平三郎、手島鍈次郎諸氏の賛助を得、資本金を弐拾五万円とし、広島県賀茂郡郷原村黒瀬川の河水を引用し、同郡広村に発電所を設け、電灯及電力の需要に応するの目的を以て設立したるものなり、当初其営業区域は広島市内に止まりしが、後業務を拡張し、三十二年五月呉市に電灯の供給を為し、次て同年十二月広島市内に於て動力の供給を開始せり、後ち世運の進歩と共に電灯及電力の需要益々増加したるを以て、明治三十九年二月更に資本金七万五千円を増資し、同県下佐伯郡河内村河内川の水力を利用し、同村地内に第二発電所を設置し、後更に事業拡張の為め再ひ資本金を増加して四拾万円と為せり、先之三十九年一月同県下安佐郡三篠村に、四十年十月同県佐伯郡草津村に電灯及電力供給区域の拡張を為し、事業漸次発展し以て今日の盛況を見るに至れりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
当社の設立発起人たる青淵先生は、会社成立と共に選はれて取締役会長となり、業務を指揮統轄せられたりしも三十八年病により之を辞し、爾後相談役の任にありしが、昨四十二年古希の齢を機として之を辞せられたり、
一 現任役員
取締役会長 松本清助 取締役 梅浦精一 取締役 海塚新八 監査役 瀬川岩造 監査役 藤田譲夫
一 所在地 広島市段原村四十番地一番邸
一 目的事業 電力及電灯の供給並に之に関する機械器具の販売、其他電気工事の設計及監督、
一 創立年月日 明治三十年五月十三日
一 資本金 四拾万円(内払込高参拾四万参千七百五拾円)
一 積立金 五万千四百円
一 電灯及電力供給高
電灯 壱万参千〇六拾五箇
電力 五百拾六馬力
一 壱箇年利益金 九万四千百五拾円
一 配当率 年弐割
一 出張所 呉市和庄町百七十四番地次四番邸
一 沿革
当社は明治三十年五月松本清助、松本万兵衛、藤田譲夫、野村保諸氏の首唱に基き、青淵先生、大倉喜八郎、浅野総一郎、梅浦精一、大川平三郎、手島鍈次郎諸氏の賛助を得、資本金を弐拾五万円とし、広島県賀茂郡郷原村黒瀬川の河水を引用し、同郡広村に発電所を設け、電灯及電力の需要に応するの目的を以て設立したるものなり、当初其営業区域は広島市内に止まりしが、後業務を拡張し、三十二年五月呉市に電灯の供給を為し、次て同年十二月広島市内に於て動力の供給を開始せり、後ち世運の進歩と共に電灯及電力の需要益々増加したるを以て、明治三十九年二月更に資本金七万五千円を増資し、同県下佐伯郡河内村河内川の水力を利用し、同村地内に第二発電所を設置し、後更に事業拡張の為め再ひ資本金を増加して四拾万円と為せり、先之三十九年一月同県下安佐郡三篠村に、四十年十月同県佐伯郡草津村に電灯及電力供給区域の拡張を為し、事業漸次発展し以て今日の盛況を見るに至れりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
当社の設立発起人たる青淵先生は、会社成立と共に選はれて取締役会長となり、業務を指揮統轄せられたりしも三十八年病により之を辞し、爾後相談役の任にありしが、昨四十二年古希の齢を機として之を辞せられたり、
一 現任役員
取締役会長 松本清助 取締役 梅浦精一 取締役 海塚新八 監査役 瀬川岩造 監査役 藤田譲夫