[ 解説 ]
1894(明治27)年、直江津・新潟間を結ぶ鉄道会社設立が民間有志により発起・出願され、翌年12月に北越鉄道が誕生しました。渋沢栄一は創立出願では発起人会長として、1895年5月の創業時には監査役に就任、同社経営に尽力しています。
同社の運営は順調とは言い難く、新潟地域の停車場(駅)設置場所をめぐり「新潟派」「株主派=沼垂(ぬったり)派」の間に争議が発生、1897(明治30)年5月、栄一は株主派重役とともに辞任を表明しています。その後栄一は現地関係者に書状を送り、争議について「実ニ痛心ニ堪兼候」と述べ、自分も東京の関係者に極端に走らないよう忠告するが、現地でも衝突を回避するよう努力・工夫するようにと要請しました。
同年7月5日、栄一は臨時総会で監査役に再選されますが争議は収まらず、鉄道開業前日の11月11日には反対派による沼垂駅爆破事件にまで発展しました。
その後も栄一は事態収拾に尽力、事件から2年後の1899(明治32)年12月8日に同社は取締役会で「沼垂仮停車場ハ新潟ニ至ル乗客ニ対シ実際不便」であるとし、栄一が推進した新潟万代橋停車場の設置を決議します。
和解案「新潟万代橋停車場」の設置は1904(明治37)年に至り実現、その翌年7月には栄一は監査役を辞して相談役となりました。新潟と沼垂は紛争を超えて1914(大正3)年に合併、それを機に港の整備もなされ、海陸交通の拠点として飛躍的な発展を遂げました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年~四十二年 (五)[(六)] / 1部 実業・経済 / 2章 交通 / 2節 鉄道 / 11款 北越鉄道株式会社 【第9巻 p.34-51】