大阪造幣寮
大阪市
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは造幣局を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.45 
画像名:大阪造幣寮
文献に記載されている解説文等:
[P.045] 栄一は明治二年十月十八日付を以って太政官弁官より上京を命ぜられ、十一月五日民部省租税正に任ぜれた。初め辞意を抱いていたが、民部大輔の大隈重信に説得された。十一月下旬には、栄一は改正掛の必要を建議して自ら掛長として諸般の改正に当った。写真の伊達宗城は任官当時の大蔵卿であり、他の人々は最も関係の深い人々である。明治四年六月、造幣事務につき大阪へ出張を命ぜられたが、幾許もなく帰京している。
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渋沢ゆかりの地

大阪造幣寮
大阪市
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは造幣局を示す。
出典:
『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.45 
画像名:
大阪造幣寮
文献に記載されている解説文等:
[P.045] 栄一は明治二年十月十八日付を以って太政官弁官より上京を命ぜられ、十一月五日民部省租税正に任ぜれた。初め辞意を抱いていたが、民部大輔の大隈重信に説得された。十一月下旬には、栄一は改正掛の必要を建議して自ら掛長として諸般の改正に当った。写真の伊達宗城は任官当時の大蔵卿であり、他の人々は最も関係の深い人々である。明治四年六月、造幣事務につき大阪へ出張を命ぜられたが、幾許もなく帰京している。
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