出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 (青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.49 参宮鉄道株式会社
画像名:旧参宮鉄道株式会社宮川停車場
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 三重県宇治山田市大字宮後町二百七十六番屋敷
一 目的事業 三重県津市より松坂町及宇治山田市を経て鳥羽町に至る鉄道を敷設し乗客及貨物の輸送を営む
一 創立年月日 明治二十三年十月十八日
一 解散当時資本金 参百七拾七万参千円
一 同上積立金 拾弐万八千余円
一 壱箇年乗客数及貨物輸送高
乗客 百七拾六万八千余人(此賃金四拾四万六千余円)
貨物 七万九千九百余噸(此賃金四万八千参百余円)
一 壱箇年利益金 参拾壱万八千四百余円(解散前壱箇年間)
一 配当率 年壱割四分八厘(同上)
一 沿革
当社は、明治二十三年八月青淵先生、奈良原繁、北川矩一の諸氏胥謀り、資本金九拾万円を以て創立したるものにして、其目的は津市より宇治山田市に至る間に鉄道を敷設して神宮参拝者の便を図るにあり、初め起工の著手遅延し、為めに多少の損失を来したりしも、後ち先生等の尽力により漸く其歩武を進め、明治二十六年十二月津市より宮川駅(度合郡小俣村)に至る二十四哩の工事を竣成し、同月三十一日を以て其営業を開始せり、次て三十年十一月宮川駅より宇治山田市に至る三哩間の工事を竣功し、茲に始て津市より宇治山田市に至る線路を完成するに至れり、偶ま明治三十九年三月鉄道国有法の発布に拠り、四十年十月を以て政府に買収せられ、当社は茲に解散して日下[目下]清算中なり、而して四十年一月中津市山田間に複線を敷設し、且同区間に電気動力を使用するの件、及鳥羽町に線路延長の件等認可を受け、其工事に著手したるも竣功に至らすして政府に買収せられたり、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社創立の発起人にして、明治二十五年七月以降相談役となり其事業の経営に干与せられしが後之を止められたり、
一 現任役員
専務清算人 片岡直温 専務清算人 稲川与謙 清算人 田中新七 清算人 白井清栄門 監査役 内藤為三郎 監査役 神野金之助 監査役 遠藤九右衛門
一 所在地 三重県宇治山田市大字宮後町二百七十六番屋敷
一 目的事業 三重県津市より松坂町及宇治山田市を経て鳥羽町に至る鉄道を敷設し乗客及貨物の輸送を営む
一 創立年月日 明治二十三年十月十八日
一 解散当時資本金 参百七拾七万参千円
一 同上積立金 拾弐万八千余円
一 壱箇年乗客数及貨物輸送高
乗客 百七拾六万八千余人(此賃金四拾四万六千余円)
貨物 七万九千九百余噸(此賃金四万八千参百余円)
一 壱箇年利益金 参拾壱万八千四百余円(解散前壱箇年間)
一 配当率 年壱割四分八厘(同上)
一 沿革
当社は、明治二十三年八月青淵先生、奈良原繁、北川矩一の諸氏胥謀り、資本金九拾万円を以て創立したるものにして、其目的は津市より宇治山田市に至る間に鉄道を敷設して神宮参拝者の便を図るにあり、初め起工の著手遅延し、為めに多少の損失を来したりしも、後ち先生等の尽力により漸く其歩武を進め、明治二十六年十二月津市より宮川駅(度合郡小俣村)に至る二十四哩の工事を竣成し、同月三十一日を以て其営業を開始せり、次て三十年十一月宮川駅より宇治山田市に至る三哩間の工事を竣功し、茲に始て津市より宇治山田市に至る線路を完成するに至れり、偶ま明治三十九年三月鉄道国有法の発布に拠り、四十年十月を以て政府に買収せられ、当社は茲に解散して日下[目下]清算中なり、而して四十年一月中津市山田間に複線を敷設し、且同区間に電気動力を使用するの件、及鳥羽町に線路延長の件等認可を受け、其工事に著手したるも竣功に至らすして政府に買収せられたり、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社創立の発起人にして、明治二十五年七月以降相談役となり其事業の経営に干与せられしが後之を止められたり、
一 現任役員
専務清算人 片岡直温 専務清算人 稲川与謙 清算人 田中新七 清算人 白井清栄門 監査役 内藤為三郎 監査役 神野金之助 監査役 遠藤九右衛門