事業名:耕牧舎
耕牧舎広告(竜門雑誌。明治35年)
足柄下郡箱根町
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは耕牧舎跡近辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.70 
画像名:耕牧舎広告(竜門雑誌。明治35年)
文献に記載されている解説文等:
[P.070] 耕牧舎は明治十二年、益田孝と興した。箱根仙石原の開拓事業で、専ら須永伝蔵が当った。須永は栄一には従弟に当り、栄一が一橋家家臣として藩士を募集して関東へ来た折、応じて一橋家臣となった一人である。
 仙石原開拓の目的は酪農にあったが、この企画は数十年早過ぎた感がある。須永は困苦を重ねた上十分の成功を見る事が出来ず、牛乳販売店を何ヵ所か持ったが、明治三十七年須永の歿後は事業を収めて植林しておくのみとなった。
 しかし、仙石原開拓の功績は小さなものではなく、今日なお仙石原のゴルフ場内には昭和六年に建てた須永伝蔵記念碑が残っている。
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渋沢ゆかりの地

事業名:耕牧舎
耕牧舎広告(竜門雑誌。明治35年)
足柄下郡箱根町
画像1
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ピンは耕牧舎跡近辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.70 
画像名:
耕牧舎広告(竜門雑誌。明治35年)
文献に記載されている解説文等:
[P.070] 耕牧舎は明治十二年、益田孝と興した。箱根仙石原の開拓事業で、専ら須永伝蔵が当った。須永は栄一には従弟に当り、栄一が一橋家家臣として藩士を募集して関東へ来た折、応じて一橋家臣となった一人である。
 仙石原開拓の目的は酪農にあったが、この企画は数十年早過ぎた感がある。須永は困苦を重ねた上十分の成功を見る事が出来ず、牛乳販売店を何ヵ所か持ったが、明治三十七年須永の歿後は事業を収めて植林しておくのみとなった。
 しかし、仙石原開拓の功績は小さなものではなく、今日なお仙石原のゴルフ場内には昭和六年に建てた須永伝蔵記念碑が残っている。
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