馬頭観世音碑(小田原市)
小田原市
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
当該地未詳。ピンは参考として小田原市役所の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.92 
画像名:馬頭観世音碑(小田原市)
文献に記載されている解説文等:
[P.092] 明治二十五年十二月十一日、栄一は伊達宗城の病気見舞に行こうとして兜町の自邸から馬車で出発し、兜橋を渡ろうとしたとき暴漢に襲われた。
 栄一は窓硝子が破られて微傷を負っただけであったが、馬は負傷した。この馬は後に箱根仙石原の耕牧舎に飼われ、斃死の後、小田原山王橋の地蔵境内に碑が建てられた。
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渋沢ゆかりの地

馬頭観世音碑(小田原市)
小田原市
画像1
[ マップ上の位置情報について ]
当該地未詳。ピンは参考として小田原市役所の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.92 
画像名:
馬頭観世音碑(小田原市)
文献に記載されている解説文等:
[P.092] 明治二十五年十二月十一日、栄一は伊達宗城の病気見舞に行こうとして兜町の自邸から馬車で出発し、兜橋を渡ろうとしたとき暴漢に襲われた。
 栄一は窓硝子が破られて微傷を負っただけであったが、馬は負傷した。この馬は後に箱根仙石原の耕牧舎に飼われ、斃死の後、小田原山王橋の地蔵境内に碑が建てられた。
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