事業名:社団法人東京慈恵会
東京慈恵会及同医院
港区
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは東京慈恵会医科大学付属病院の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.131 東京慈恵会
画像名:東京慈恵会及同医院
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市芝区愛宕町二丁目八番地
一 目的事業 貧困にして医薬を得る資力無き患者を施療す
一 創立年月日 明治十五年八月十日
一 沿革
当会は、明治十四年男爵高木兼寛氏等三十五名の人々胥謀り施療病院設立の議を建て、翌十五年八月を以て芝公園地天光院を借受け、有志共立病院の名称の下に施療を開始したるに胚胎し、同十六年宮内省より特に御下賜金あり、次で旧東京府病院の建物を払受け直に之に移り、有栖川宮威仁親王殿下を総裁に推戴す、越て三十年四月、貴婦人慈善会を介して同院を 皇后陛下御眷護の下に置かせられんことを奏請し御允許の栄を辱ふす、乃ち組織を改め名けて東京慈恵医院と称し、有栖川宮妃殿下を幹事長に、毛利公爵夫人安子外九名を幹事に被仰付、貴婦人慈善会々員を総て同院の会員となし、会員は毎月一円乃至五円を寄附し之を以て医院の諸費に充つることとなせり、同年四月再び宮内省より特に金弐万円を下賜せられ、又 皇太后 皇后両陛下より年々一定の金額を賜はるへき恩命を拝せり、降て明治四十年二月幹事長有栖川宮妃殿下には幹事一同及院長次長等を御殿に召させられ、慈恵医院拡張の件に付御相談あり、尚ほ会員及京浜在住の貴顕縉紳等をも御殿に召され、拡張の方案に関し親しく御沙汰あり、是に於てか同院大拡張の議を決し、組織を改て社団法人とし、顧問理事評議員会長副会長医院長医院次長商議員等の諸職員を設け、基礎茲に確定せり、之を現在の東京慈恵会とす、
一 当会と青淵先生との関係
青淵先生は慈恵医院設立の趣意を賛し、数次寄附金を為し常に其事業を翼賛せるのみならす、明治四十年当会を社団法人となすに至り、大に其拡張に尽力し率先して多額の金円を寄附し、更に縉紳有志を勧誘して其会員たらしめ基礎の鞏固を計れり、而して其組織成るや、選まれて理事、副会長兼財務主任となり現に其職に鞅掌せられつつあり、
一 現任役員
  総裁  威仁親王妃慰子殿下
  顧問
   侯爵 松方正義  侯爵 井上馨
   侯爵 桂太郎  男爵 阪谷芳郎
   伯爵 香川敬三  法学博士 穂積陳重
   男爵 岩崎久弥  男爵 三井八郎右衛門
  理事
   侯爵 蜂須賀茂韶  公爵 徳川家達
   侯爵 鍋島直大  侯爵 徳川頼倫
   子爵 実吉安純  長崎省吾
   男爵 高木兼寛  近藤廉平
   男爵 渋沢栄一  大倉喜八郎
   原六郎  森村市左衛門
   早川千吉郎  安田善次郎
  評議員 公爵母堂 伊藤梅子 以下七十四人
  会長 公爵 徳川家達
  副会長 男爵 渋沢栄一
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渋沢ゆかりの地

事業名:社団法人東京慈恵会
東京慈恵会及同医院
港区
画像1
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは東京慈恵会医科大学付属病院の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.131 東京慈恵会
画像名:
東京慈恵会及同医院
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市芝区愛宕町二丁目八番地
一 目的事業 貧困にして医薬を得る資力無き患者を施療す
一 創立年月日 明治十五年八月十日
一 沿革
当会は、明治十四年男爵高木兼寛氏等三十五名の人々胥謀り施療病院設立の議を建て、翌十五年八月を以て芝公園地天光院を借受け、有志共立病院の名称の下に施療を開始したるに胚胎し、同十六年宮内省より特に御下賜金あり、次で旧東京府病院の建物を払受け直に之に移り、有栖川宮威仁親王殿下を総裁に推戴す、越て三十年四月、貴婦人慈善会を介して同院を 皇后陛下御眷護の下に置かせられんことを奏請し御允許の栄を辱ふす、乃ち組織を改め名けて東京慈恵医院と称し、有栖川宮妃殿下を幹事長に、毛利公爵夫人安子外九名を幹事に被仰付、貴婦人慈善会々員を総て同院の会員となし、会員は毎月一円乃至五円を寄附し之を以て医院の諸費に充つることとなせり、同年四月再び宮内省より特に金弐万円を下賜せられ、又 皇太后 皇后両陛下より年々一定の金額を賜はるへき恩命を拝せり、降て明治四十年二月幹事長有栖川宮妃殿下には幹事一同及院長次長等を御殿に召させられ、慈恵医院拡張の件に付御相談あり、尚ほ会員及京浜在住の貴顕縉紳等をも御殿に召され、拡張の方案に関し親しく御沙汰あり、是に於てか同院大拡張の議を決し、組織を改て社団法人とし、顧問理事評議員会長副会長医院長医院次長商議員等の諸職員を設け、基礎茲に確定せり、之を現在の東京慈恵会とす、
一 当会と青淵先生との関係
青淵先生は慈恵医院設立の趣意を賛し、数次寄附金を為し常に其事業を翼賛せるのみならす、明治四十年当会を社団法人となすに至り、大に其拡張に尽力し率先して多額の金円を寄附し、更に縉紳有志を勧誘して其会員たらしめ基礎の鞏固を計れり、而して其組織成るや、選まれて理事、副会長兼財務主任となり現に其職に鞅掌せられつつあり、
一 現任役員
  総裁  威仁親王妃慰子殿下
  顧問
   侯爵 松方正義  侯爵 井上馨
   侯爵 桂太郎  男爵 阪谷芳郎
   伯爵 香川敬三  法学博士 穂積陳重
   男爵 岩崎久弥  男爵 三井八郎右衛門
  理事
   侯爵 蜂須賀茂韶  公爵 徳川家達
   侯爵 鍋島直大  侯爵 徳川頼倫
   子爵 実吉安純  長崎省吾
   男爵 高木兼寛  近藤廉平
   男爵 渋沢栄一  大倉喜八郎
   原六郎  森村市左衛門
   早川千吉郎  安田善次郎
  評議員 公爵母堂 伊藤梅子 以下七十四人
  会長 公爵 徳川家達
  副会長 男爵 渋沢栄一
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