事業名:東京毛織物株式会社
東京毛織物株式会社
荒川区
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京毛織(北豊島郡南千住町大字地方橋場535番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.105 東京毛織物
画像名:東京毛織物株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京府北豊島郡南千住町大字地方橋場五百三十五番地
一 目的事業 毛織物業
一 創立年月日 明治三十九年十一月二十五日
一 資本金 弐百万円(内払込高七拾万円)
一 配当率 年五分
一 沿革
当社は明治三十九年十一月青淵先生、日比谷平左衛門、山中隣之助、諸井恒平、鈴木純一郎、渋谷正吉、町田徳之助の諸氏胥謀り資本金弐百万円を以て設立したるものにして其目的は屑毛及古毛を利用して毛織物の製造を為すにあり、先是日露戦役中鈴木純一郎氏官命を帯びて米国に赴くや、見聞の余適々屑毛古毛の再製利用による毛織物製造業の我邦に最も適切緊要なるを認め、帰朝後当業者たる渋谷正吉氏に計り其賛同を得、尋て諸井恒平氏を介して青淵先生の指導及助力を仰き、且つ其指名によりて創立委員を定め、明治三十九年十一月二十五日を以て当社の設立を見るに至れり、爾来当任者の拮据経営により業務漸次其緒に就き製品亦良好にして社業の前途益々有望なりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社成立の後其相談役となり、業務上重要事項に関して常に指導の任に当られしが、昨四十二年古希の寿に躋りたるを機として之を辞せられたり、
一 現任役員
   取締役会長 日比谷平左衛門  常務取締役 鈴木純一郎
   常務取締役 諸井恒平  取締役 渋沢篤二
   監査役 大橋新太郎  監査役 山中隣之助
   監査役 町田徳之助
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渋沢ゆかりの地

事業名:東京毛織物株式会社
東京毛織物株式会社
荒川区
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ピンは当時の東京毛織(北豊島郡南千住町大字地方橋場535番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.105 東京毛織物
画像名:
東京毛織物株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京府北豊島郡南千住町大字地方橋場五百三十五番地
一 目的事業 毛織物業
一 創立年月日 明治三十九年十一月二十五日
一 資本金 弐百万円(内払込高七拾万円)
一 配当率 年五分
一 沿革
当社は明治三十九年十一月青淵先生、日比谷平左衛門、山中隣之助、諸井恒平、鈴木純一郎、渋谷正吉、町田徳之助の諸氏胥謀り資本金弐百万円を以て設立したるものにして其目的は屑毛及古毛を利用して毛織物の製造を為すにあり、先是日露戦役中鈴木純一郎氏官命を帯びて米国に赴くや、見聞の余適々屑毛古毛の再製利用による毛織物製造業の我邦に最も適切緊要なるを認め、帰朝後当業者たる渋谷正吉氏に計り其賛同を得、尋て諸井恒平氏を介して青淵先生の指導及助力を仰き、且つ其指名によりて創立委員を定め、明治三十九年十一月二十五日を以て当社の設立を見るに至れり、爾来当任者の拮据経営により業務漸次其緒に就き製品亦良好にして社業の前途益々有望なりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社成立の後其相談役となり、業務上重要事項に関して常に指導の任に当られしが、昨四十二年古希の寿に躋りたるを機として之を辞せられたり、
一 現任役員
   取締役会長 日比谷平左衛門  常務取締役 鈴木純一郎
   常務取締役 諸井恒平  取締役 渋沢篤二
   監査役 大橋新太郎  監査役 山中隣之助
   監査役 町田徳之助
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