事業名:日本銀行
日本銀行総裁室
中央区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは日本銀行の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.89 日本銀行
画像名:日本銀行総裁室
文献に記載されている解説文等:
東京市日本橋区両替町
 帝国の中央金庫たる日本銀行は、明治十五年六月発布せられたる日本銀行条例に則り、十月資本金一千万円を以て日本橋区箱崎町に開業したるものにして、当時の事情並に爾後帝国財政との関係に就きては、本史に於ける渋沢男爵の銀行篇に詳なれば、今之を絮説するの要なし。二十三年大建築の工を起し、二十九年四月竣工し此に移る。此地は元徳川時代に於て後藤庄三郎が金貨吹立の事業を営みし所謂金座の跡なりと云ふ。其構造は本邦有数の偉観を呈し、本館別館の二棟に分れ、本館は地上を三層とし、地下を一層とす。金庫は堅牢無双と称せられ地下室に在り、一旦大事変あるに際しては、直ちに金庫を水底に沈埋せしむるの設備あり。別館は地下室を厨房とし、地上第一層を公債部、第二層を手形交換所等とす。別に金銀分析室あり、器械室あり。
資本金三千万円(払込済)
 日本銀行営業部は本館地上第一層に在り。四十年下半期勘定の大要は左の如し。
 金銀勘定 前期繰越高三千五百八十九万余円、受入高九十九億六千二百六十万余円、合計九十九億九千八百四十九万余円、仕払高九十九億六千五百三十四万余円なり。
 損益勘定 総益金一千七十二万二千余円、総損金七百六十四万九千余円、差引純益金三百七万三千余円、前期繰越金一百十九万八千余円にして、合計四百二十七万一千余円なり。
重役 是等を運転すべき幹部諸氏は
  総裁 男爵 松尾臣善  副総裁 男爵 高橋是清
  理事 首藤諒  理事 山口定義
  理事 木村清四郎  理事 吉井友兄
  監事 内田耕作  監事 鮫島武之助
  監事 三田佶  監事 川上左七郎
積立金二千二百五十万円
日本銀行創設以来の総裁
  吉原重俊氏
  富田鉄之助氏
  男爵 川田小一郎氏
  男爵 岩崎弥之助氏
  山本達雄氏
  男爵 松尾臣善氏
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渋沢ゆかりの地

事業名:日本銀行
日本銀行総裁室
中央区
画像1
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは日本銀行の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.89 日本銀行
画像名:
日本銀行総裁室
文献に記載されている解説文等:
東京市日本橋区両替町
 帝国の中央金庫たる日本銀行は、明治十五年六月発布せられたる日本銀行条例に則り、十月資本金一千万円を以て日本橋区箱崎町に開業したるものにして、当時の事情並に爾後帝国財政との関係に就きては、本史に於ける渋沢男爵の銀行篇に詳なれば、今之を絮説するの要なし。二十三年大建築の工を起し、二十九年四月竣工し此に移る。此地は元徳川時代に於て後藤庄三郎が金貨吹立の事業を営みし所謂金座の跡なりと云ふ。其構造は本邦有数の偉観を呈し、本館別館の二棟に分れ、本館は地上を三層とし、地下を一層とす。金庫は堅牢無双と称せられ地下室に在り、一旦大事変あるに際しては、直ちに金庫を水底に沈埋せしむるの設備あり。別館は地下室を厨房とし、地上第一層を公債部、第二層を手形交換所等とす。別に金銀分析室あり、器械室あり。
資本金三千万円(払込済)
 日本銀行営業部は本館地上第一層に在り。四十年下半期勘定の大要は左の如し。
 金銀勘定 前期繰越高三千五百八十九万余円、受入高九十九億六千二百六十万余円、合計九十九億九千八百四十九万余円、仕払高九十九億六千五百三十四万余円なり。
 損益勘定 総益金一千七十二万二千余円、総損金七百六十四万九千余円、差引純益金三百七万三千余円、前期繰越金一百十九万八千余円にして、合計四百二十七万一千余円なり。
重役 是等を運転すべき幹部諸氏は
  総裁 男爵 松尾臣善  副総裁 男爵 高橋是清
  理事 首藤諒  理事 山口定義
  理事 木村清四郎  理事 吉井友兄
  監事 内田耕作  監事 鮫島武之助
  監事 三田佶  監事 川上左七郎
積立金二千二百五十万円
日本銀行創設以来の総裁
  吉原重俊氏
  富田鉄之助氏
  男爵 川田小一郎氏
  男爵 岩崎弥之助氏
  山本達雄氏
  男爵 松尾臣善氏
画像2