事業名:第二十国立銀行(二十銀行)
株式会社二十銀行
中央区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の二十銀行(日本橋区伊勢町2番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.14 二十銀行
画像名:株式会社二十銀行
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市日本橋区伊勢町二番地
一 目的事業 銀行業
一 創立年月日 明治十年七月十一日
一 資本金 弐百万円(内払込高百四拾五万円)
一 積立金 参拾四万円
一 壱箇年利益金 弐拾四万八千円
一 配当率 年七分
一 支店所在地 深川 函館 小樽 根室 釧路
一 沿革
当行は明治十年七月十一日第二十国立銀行として資本金弐拾五万円を以て東京市日本橋区南茅場町に設立したるものにして、同十五年十二月京橋区本材木町三丁目に移転し、同十八年五月函館に、同二十年五月小樽に支店を開設せり、此年十二月本店を日本橋区伊勢町(現在営業所)に移し、更に同二十四年出張所を札幌に、同二十六年支店を根室に創設せり(後札幌出張所は故ありて之を廃止せり)、同三十年七月十一日営業満期となるや、其組織を改め資本金を倍加して五拾万円とし、称号を株式会社二十銀行と改め其営業を継続し、同三十二年九月更に業務を拡張し資本金を百万円とし深川に出張所を設置し(三十四年七月支店とす)、同三十七年三月には本店を改築し五月釧路に支店を増設し、同三十九年九月更に百万円の増資を為し資本金総額を弐百万円とし以て今日に及へり、
一 当行と青淵先生との関係
青淵先生は当行の創立に際し伊達家の依托により隠然其力を竭されたるのみならす、爾来今日に至る迄常に其営業方針に就き指導の任に当り、又明治四十一年七月請に応して相談役となられしか、昨四十二年古希の齢に躋りたるを機として之を辞せられたり、
一 現任役員
   頭取 佐々木慎思郎  取締役 穂積重穎
   取締役兼支配人 山口荘吉  監査役 本多康虎
   監査役 小西安兵衛
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渋沢ゆかりの地

事業名:第二十国立銀行(二十銀行)
株式会社二十銀行
中央区
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の二十銀行(日本橋区伊勢町2番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.14 二十銀行
画像名:
株式会社二十銀行
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市日本橋区伊勢町二番地
一 目的事業 銀行業
一 創立年月日 明治十年七月十一日
一 資本金 弐百万円(内払込高百四拾五万円)
一 積立金 参拾四万円
一 壱箇年利益金 弐拾四万八千円
一 配当率 年七分
一 支店所在地 深川 函館 小樽 根室 釧路
一 沿革
当行は明治十年七月十一日第二十国立銀行として資本金弐拾五万円を以て東京市日本橋区南茅場町に設立したるものにして、同十五年十二月京橋区本材木町三丁目に移転し、同十八年五月函館に、同二十年五月小樽に支店を開設せり、此年十二月本店を日本橋区伊勢町(現在営業所)に移し、更に同二十四年出張所を札幌に、同二十六年支店を根室に創設せり(後札幌出張所は故ありて之を廃止せり)、同三十年七月十一日営業満期となるや、其組織を改め資本金を倍加して五拾万円とし、称号を株式会社二十銀行と改め其営業を継続し、同三十二年九月更に業務を拡張し資本金を百万円とし深川に出張所を設置し(三十四年七月支店とす)、同三十七年三月には本店を改築し五月釧路に支店を増設し、同三十九年九月更に百万円の増資を為し資本金総額を弐百万円とし以て今日に及へり、
一 当行と青淵先生との関係
青淵先生は当行の創立に際し伊達家の依托により隠然其力を竭されたるのみならす、爾来今日に至る迄常に其営業方針に就き指導の任に当り、又明治四十一年七月請に応して相談役となられしか、昨四十二年古希の齢に躋りたるを機として之を辞せられたり、
一 現任役員
   頭取 佐々木慎思郎  取締役 穂積重穎
   取締役兼支配人 山口荘吉  監査役 本多康虎
   監査役 小西安兵衛
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