喜寿碑 血洗島諏訪神社境内
深谷市

[撮影日] 不詳
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.128
画像名:喜寿碑 血洗島諏訪神社境内
文献に記載されている解説文等:
[P.127] 明治四十二年、栄一七十歳に際して多くの関係会社・団体等の要職を辞したが、大正五年七十七歳に際し、尚職責に任じていた第一銀行頭取、東京貯蓄銀行取締役会長、東京銀行集会所会長を辞し、全く実業界からは引退して以後は社会公共事業に尽力することとなった。
大正六年四月二十一日、大隈重信、三井八郎右衛門、近藤廉平を始めとする京浜実業家四百名は栄一並びにその家族を帝国ホテルに招待して多年に渡って実業界に尽した功績に対して感謝状を贈り記念品を贈って謝意を表した。尚、郷里には喜寿碑が立ち、竜門社は文学博士林泰輔に依嘱して「論語年譜」を刊行、贈呈した。
[P.127] 明治四十二年、栄一七十歳に際して多くの関係会社・団体等の要職を辞したが、大正五年七十七歳に際し、尚職責に任じていた第一銀行頭取、東京貯蓄銀行取締役会長、東京銀行集会所会長を辞し、全く実業界からは引退して以後は社会公共事業に尽力することとなった。
大正六年四月二十一日、大隈重信、三井八郎右衛門、近藤廉平を始めとする京浜実業家四百名は栄一並びにその家族を帝国ホテルに招待して多年に渡って実業界に尽した功績に対して感謝状を贈り記念品を贈って謝意を表した。尚、郷里には喜寿碑が立ち、竜門社は文学博士林泰輔に依嘱して「論語年譜」を刊行、贈呈した。
