
[撮影日] 不詳
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.20
画像名:可堂桃井先生碑
文献に記載されている解説文等:
[P.020-021] 横浜の外人を一掃しようとする攘夷運動は栄一等のみの計画ではなかった。桃井可堂もその一人で、栄一等の挙兵の日と同じ文久三年十一月十一日に行動を起そうとして、事前に漏洩し、可堂は自首して獄中に死去した。昭和二年建碑に際して栄一は碑陰の文を草し揮毫した。可堂の孫健吾は石井姓を継ぎ、第一銀行に入り、頭取となった。
[P.020-021] 横浜の外人を一掃しようとする攘夷運動は栄一等のみの計画ではなかった。桃井可堂もその一人で、栄一等の挙兵の日と同じ文久三年十一月十一日に行動を起そうとして、事前に漏洩し、可堂は自首して獄中に死去した。昭和二年建碑に際して栄一は碑陰の文を草し揮毫した。可堂の孫健吾は石井姓を継ぎ、第一銀行に入り、頭取となった。
