トピック詳細
平安遷都千百年記念祭への旅 
旅行
『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 / 3部 身辺 / 6章 旅行 【第29巻 p.452】
1895(明治28)年10月20日(55歳)
是日栄一、平安遷都千百年記念祭に参列の為め東京を発し京都に赴き、二十五日まで滞在、大阪・中国・九州地方を歴巡して十一月十二日帰京す。
[ 解説 ]  「平安遷都千百年記念祭」は平安遷都から1100年目を記念し、1895(明治28)年、第4回内国勧業博覧会と同時期に挙行されました。祭支援のために近衛篤麿を会長とした「平安遷都記念協賛会」が設立され、渋沢栄一は会計監督として尽力、祭典に出席するため10月20日「夜汽車にて新橋を発し」、25日まで京都に滞在、その後、築港・鉄道・炭坑等の視察のために大阪、尾道経由で九州を訪れています。
 『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.645-646には栄一と本事業とのかかわりが「青淵先生公私履歴台帳」からの転載として、また同巻p.655-656には旅程が『竜門雑誌』第90号(1895.11)p.27からの転載として紹介されています。

「民間略歴(明治二十五年以後)明治二十七年
一 平安遷都紀念祭協賛会ノ設立ヲ賛助シ、其会計監督トナル
  明治二十八年第四回内国勧業博覧会ノ京都ニ開カレントスルヤ同市民ハ同年恰モ桓武天皇都ヲ平安ニ定メ玉ヒシヨリ千百年ニ当ルヲ以テ同市ニ於テ遷都紀念祭ヲ挙行シ、以テ其繁栄ヲ図リ、併セテ国光ヲ万国ニ示サントスルノ挙アリ、即有志者ノ勧誘ニヨリ本会ノ設立ヲ賛成シ、会計ヲ監督セリ、後本会ハ其目的ヲ達シテ解散セリ」
(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.645-646収載 青渊先生公私履歴台帳(渋沢子爵家所蔵)より)

 平安遷都千百年記念祭は10月22日から3日間にわたり盛大に開催され、最終日の25日には時代行列が仕立てられました。翌1896(明治29)年からは遷都の日にあたる10月22日に開催され、葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭のひとつ「時代祭」となりました。

[ 参考リンク ]

都市史30 平安遷都千百年紀念祭〔京都市情報館〕

京都三大祭 時代祭について〔平安神宮〕

渋沢ゆかりの地

ゆかりの地
トピックアイコントピック詳細
京都
平安遷都千百年記念祭への旅 
旅行
1895(明治28)年10月20日(55歳)
是日栄一、平安遷都千百年記念祭に参列の為め東京を発し京都に赴き、二十五日まで滞在、大阪・中国・九州地方を歴巡して十一月十二日帰京す。
[ 解説 ]
 「平安遷都千百年記念祭」は平安遷都から1100年目を記念し、1895(明治28)年、第4回内国勧業博覧会と同時期に挙行されました。祭支援のために近衛篤麿を会長とした「平安遷都記念協賛会」が設立され、渋沢栄一は会計監督として尽力、祭典に出席するため10月20日「夜汽車にて新橋を発し」、25日まで京都に滞在、その後、築港・鉄道・炭坑等の視察のために大阪、尾道経由で九州を訪れています。
 『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.645-646には栄一と本事業とのかかわりが「青淵先生公私履歴台帳」からの転載として、また同巻p.655-656には旅程が『竜門雑誌』第90号(1895.11)p.27からの転載として紹介されています。

「民間略歴(明治二十五年以後)明治二十七年
一 平安遷都紀念祭協賛会ノ設立ヲ賛助シ、其会計監督トナル
  明治二十八年第四回内国勧業博覧会ノ京都ニ開カレントスルヤ同市民ハ同年恰モ桓武天皇都ヲ平安ニ定メ玉ヒシヨリ千百年ニ当ルヲ以テ同市ニ於テ遷都紀念祭ヲ挙行シ、以テ其繁栄ヲ図リ、併セテ国光ヲ万国ニ示サントスルノ挙アリ、即有志者ノ勧誘ニヨリ本会ノ設立ヲ賛成シ、会計ヲ監督セリ、後本会ハ其目的ヲ達シテ解散セリ」
(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.645-646収載 青渊先生公私履歴台帳(渋沢子爵家所蔵)より)

 平安遷都千百年記念祭は10月22日から3日間にわたり盛大に開催され、最終日の25日には時代行列が仕立てられました。翌1896(明治29)年からは遷都の日にあたる10月22日に開催され、葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭のひとつ「時代祭」となりました。

[ 参考リンク ]

都市史30 平安遷都千百年紀念祭〔京都市情報館〕

京都三大祭 時代祭について〔平安神宮〕


出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 / 3部 身辺 / 6章 旅行 【第29巻 p.452】