[ 解説 ]
「常平倉」とは、米価調節のために置かれた奈良時代の官庁で、江戸時代にも水戸藩、会津藩などが設置していました。一方、1869(明治2)年に静岡に開設された「常平倉」は、当初「商法会所」という名称の合本制による金融商社でした。『渋沢栄一伝記資料』には商法会所から常平倉へと改名した経緯が『雨夜譚』からの転載として紹介されています。
「○上略 処で其年の五月頃、藩庁から商法会所として藩の資本で商業をするのは、朝旨に悖るから事実は兎も角も其名称を改正しろといふ内意があつて、種々の評議をした上で、常平倉といふ名称に改めました、これは大久保が漢の時代に行はれた古例を引て、命名したのであるが肥料の貸付も米穀の売買もすることであるから、真の常平といふ趣意には応じがたくして、詰り其名を替へたまでゝありました。」
(『渋沢栄一伝記資料』第2巻p.184収載 『雨夜譚』(渋沢栄一述) 巻之四p.26より)
[ 参考リンク ]
▶静岡藩商法会所の設立について-商法会所・常平倉の理念をめぐって- / 龍澤潤 (『白山史学』37号 (2001.04) p.1-19) 〔国立国会図書館サーチ〕
出典:『渋沢栄一伝記資料』 1編 在郷及ビ仕官時代 天保十一年-明治六年 / 2部 亡命及ビ仕官時代 / 3章 静岡藩仕官時代 【第2巻 p.184-199】