トピック詳細
渋沢篤太夫(栄一)、徳川昭武随員として横浜出港 
幕府仕官時代
『渋沢栄一伝記資料』 1編 在郷及ビ仕官時代 天保十一年-明治六年 / 2部 亡命及ビ仕官時代 / 2章 幕府仕官時代 【第1巻 p.450-485】
慶応3年丁卯1月11日[西暦:1867年2月15日](26歳)
徳川昭武に随ひ、横浜より乗船して仏国に向ふ。上海・香港・柴棍・新嘉埠・錫蘭・亜丁・蘇士・該祿・亜歴散大・馬塞里・黎繡等を経て、三月七日巴里に着し、カプシンヌ街のガランドホテルに館す。
[ 解説 ]  慶応3丁卯年1月11日[西暦:1867年2月15日]、渋沢篤太夫(のちに栄一)は、パリ万博のために招かれた徳川昭武(とくがわ・あきたけ、1853-1910)一行とともに横浜を出港しました。横浜からフランス郵船の汽船アルフェー号で香港に渡り、香港ではアンペラトリス号に乗り換え、アラビア半島南端のアデンを経由してスエズへ。スエズからは陸路でカイロを経由してアレキサンドリアへ、アレキサンドリア港からはサイド号に乗船し、マルセイユに到着したのは1867年4月3日のことでした。
 栄一が昭武の随員として過ごしたヨーロッパでの1年余りの間に記した日記は、後に『渋沢栄一滞仏日記』として日本史籍協会より刊行されました。

【参考】
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕より
・慶応2丙寅11月29日[西暦:1867年1月4日] (26歳) 渋沢篤太夫(栄一)、徳川昭武渡仏にあたり随行の内命を受ける
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20101129/1290996656
 
・慶応3丁卯年3月24日[西暦:1867年4月28日] (27歳) 徳川昭武随員として渡仏
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080324/1206319931
 
・慶応3年丁卯11月9日[西暦:1867年12月4日] (27歳) 渋沢栄一、徳川昭武の随員としてイギリスを訪れる
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20091109/1257735115
 
・1928(昭和3)年1月25日(水) (87歳) 『渋沢栄一滞仏日記』刊行
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20100125/1264384769

[ 参考リンク ]

慶応2丙寅11月29日[西暦:1867年1月4日] (26歳) 渋沢篤太夫(栄一)、徳川昭武渡仏にあたり随行の内命を受ける〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

慶応3丁卯年3月24日[西暦:1867年4月28日] (27歳) 徳川昭武随員として渡仏〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

慶応3年丁卯11月9日[西暦:1867年12月4日] (27歳) 渋沢栄一、徳川昭武の随員としてイギリスを訪れる〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

1928(昭和3)年1月25日(水) (87歳) 『渋沢栄一滞仏日記』刊行〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

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渋沢篤太夫(栄一)、徳川昭武随員として横浜出港 
幕府仕官時代
慶応3年丁卯1月11日[西暦:1867年2月15日](26歳)
徳川昭武に随ひ、横浜より乗船して仏国に向ふ。上海・香港・柴棍・新嘉埠・錫蘭・亜丁・蘇士・該祿・亜歴散大・馬塞里・黎繡等を経て、三月七日巴里に着し、カプシンヌ街のガランドホテルに館す。
[ 解説 ]
 慶応3丁卯年1月11日[西暦:1867年2月15日]、渋沢篤太夫(のちに栄一)は、パリ万博のために招かれた徳川昭武(とくがわ・あきたけ、1853-1910)一行とともに横浜を出港しました。横浜からフランス郵船の汽船アルフェー号で香港に渡り、香港ではアンペラトリス号に乗り換え、アラビア半島南端のアデンを経由してスエズへ。スエズからは陸路でカイロを経由してアレキサンドリアへ、アレキサンドリア港からはサイド号に乗船し、マルセイユに到着したのは1867年4月3日のことでした。
 栄一が昭武の随員として過ごしたヨーロッパでの1年余りの間に記した日記は、後に『渋沢栄一滞仏日記』として日本史籍協会より刊行されました。

【参考】
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕より
・慶応2丙寅11月29日[西暦:1867年1月4日] (26歳) 渋沢篤太夫(栄一)、徳川昭武渡仏にあたり随行の内命を受ける
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20101129/1290996656
 
・慶応3丁卯年3月24日[西暦:1867年4月28日] (27歳) 徳川昭武随員として渡仏
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080324/1206319931
 
・慶応3年丁卯11月9日[西暦:1867年12月4日] (27歳) 渋沢栄一、徳川昭武の随員としてイギリスを訪れる
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20091109/1257735115
 
・1928(昭和3)年1月25日(水) (87歳) 『渋沢栄一滞仏日記』刊行
 http://d.hatena.ne.jp/tobira/20100125/1264384769

[ 参考リンク ]

慶応2丙寅11月29日[西暦:1867年1月4日] (26歳) 渋沢篤太夫(栄一)、徳川昭武渡仏にあたり随行の内命を受ける〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

慶応3丁卯年3月24日[西暦:1867年4月28日] (27歳) 徳川昭武随員として渡仏〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

慶応3年丁卯11月9日[西暦:1867年12月4日] (27歳) 渋沢栄一、徳川昭武の随員としてイギリスを訪れる〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕

1928(昭和3)年1月25日(水) (87歳) 『渋沢栄一滞仏日記』刊行〔情報資源センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」〕


出典:『渋沢栄一伝記資料』 1編 在郷及ビ仕官時代 天保十一年-明治六年 / 2部 亡命及ビ仕官時代 / 2章 幕府仕官時代 【第1巻 p.450-485】