[ 解説 ]
大阪の株式仲買人岩本栄之助(いわもと・えいのすけ、1877-1916)は亡父の遺訓「利益は社会へ還元」に従い、1911(明治44)年3月に「子孫で死蔵・散逸させるより社会のため」と大阪市に100万円を寄付、それによって大阪市中央公会堂(通称・中之島公会堂)が建てられました。
渡米実業団に参加して米国の実業家による公共事業を見聞した岩本は、寄付に先立ち渋沢栄一に相談、栄一は岩本の計画を「立派なもの」として事業化を斡旋しました。栄一は公会堂建設のため財団設立を進言、依頼を受けてその顧問にも就任しています。
岩本は後に事業の失敗で1918(大正7)年の竣工を待つことなく自害、関係者は往時を回想して岩本を悼みながらも「財団が設立されなかったら事業は安定せず、蹉跌を見たかもしれない」と語ってます。
2002(平成14)年、公会堂は保存再生工事を経て国の重要文化財指定を受け、文化活動の場として、また実業家の篤志を語り継ぐ場として大阪市民により守られ、活用されることとなりました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 7章 行政 / 1節 自治行政 / 6款 大阪市公会堂 【第48巻 p.351】