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渋沢栄一、J.R.モールスと神戸市との紛議を仲裁 
神戸市水道公債問題
『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 / 2部 社会公共事業 / 6章 政治・自治行政 / 2節 自治行政 / 8款 神戸市水道公債問題 【第28巻 p.426-433】
1901(明治34)年12月21日(61歳)
神戸市とアメリカ合衆国ゼームス・アール・モールスとの間に神戸市水道公債に関する紛議あり。栄一の仲裁により、是日和解成る。
[ 解説 ]  1899(明治32)年、横浜のモールス商会会長J.R.モールスは神戸市が募集した公債に応募、100万円の売買契約を結びましたが、両者の間には償還通貨に関する認識に齟齬があったのか、紛議が発生しました。
 半額を日本通貨で支払った後に証書を受領したモールスは、償還は英国通貨でなされるべきとして証書文面の修正を要求、日本通貨による償還を主張する神戸市はこれを拒否。モールスは契約解除と損害賠償金支払いを求め訴訟を起こしましたが一審で敗訴となり、その後も再審を請求し紛議は1901(明治34)年まで続きました。(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.428-433掲載「神戸市水道公債売買紛議の真相」(『東京経済雑誌』1901.08.11)より)
 京仁鉄道の売買でモールスと懇意にしていた渋沢栄一はこれを仲裁、紛議発生から2年の歳月を経てようやく両者の間に和解が成りました。『渋沢栄一伝記資料』第28巻にはこの時の和解の協定条項が以下のように紹介されています。

「去明治卅二年以来、神戸市参事会と横浜モールス氏の間に結んて解けさりし神戸水道公債紛議事件は、其後内外の人士にして仲裁を試むるなきに非りしも、容易に局を結ぶに至らさりしが、青渊先生は事の対外関係にして其影響する所重大なるを以て、双方の間に立て深く斡旋せらるゝありしが、去十二月廿日神戸市の側よりは市長坪野平太郎・市参事会員神田兵右衛門・同山本繁造の三氏を招き、之に相手方なるモールス氏を加へ、兜町の先生事務所に会し、茲に全く従来の紛議を和解協定するに至れり、今其協定条項を掲載すれば左の如し
  明治参拾弐年大日本帝国神戸市参事会市長が発行せし水道公債の売買に関し、債券売人たる神戸市参事会市長と買人たる米国人「ゼイアール・モールス」氏との間に生じたる紛議の仲裁を、今般当事者双方の合意に依りて男爵渋沢栄一に依頼し、同男に於て審理の末和解協定せしめられたる条項左の如し
  第一、曩に神戸市参事会市長が「モールス」氏へ売渡したる水道債券額面五拾万円の半高弐拾五万円は、其際「モールス」氏が仕払ひたると同価格を以て、本年十二月三十一日限り神戸市参事会市長が之を買戻すべき事
   但其取引は横浜市に於て之を行ふべき事
  第二、「モールス」氏の保有する残額弐拾五万円の水道債券に対しては、神戸市参事会市長は日本貨壱円に対し弐志○片拾六分の拾参の割合を以て英貨にて其元利を仕払ふべき旨を明記したる新債券を成るべく至急調製して、神戸市に於て従前の債券と引換に「モールス」氏に交附すへき事
   但本項新債券の元利を英貨にて仕払ふの件は、債券引換の終了すると否とに拘はらず、来る明治参拾五年一月一日より其効力を生すへきものとす
  第三、右の二項を協定したるに付ては、当事者双方は現に東京控訴院に提出しある訴訟を取下げ、従来双方の間に懐抱したる悪感情を除去し、共に信義を守りて交情を厚くすべき事
  右仲裁せし証として茲に記名調印致候也
   明治三十四年十二月二十日     仲裁者 渋沢栄一
 右御仲裁の条項、双方共合意承諾致候に付、茲に記名調印致候也
                    当事者
             神戸市参事会市長 坪野平太郎
             市参事会員      神田兵右衛門
             市参事会員      山本繁造
                          James R .Morse.」
(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.427-428収載 『竜門雑誌』第164号p.36-37 明治35年1月「青渊先生の神戸市対モ―ルス氏間紛議の調停」より)

[ 参考リンク ]

マーチャント・バンク / 山本利久 (『新潟産業大学経済学部紀要』第29号(2005.08)p.89-110)〔CiNii 論文〕

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渋沢栄一、J.R.モールスと神戸市との紛議を仲裁 
神戸市水道公債問題
1901(明治34)年12月21日(61歳)
神戸市とアメリカ合衆国ゼームス・アール・モールスとの間に神戸市水道公債に関する紛議あり。栄一の仲裁により、是日和解成る。
[ 解説 ]
 1899(明治32)年、横浜のモールス商会会長J.R.モールスは神戸市が募集した公債に応募、100万円の売買契約を結びましたが、両者の間には償還通貨に関する認識に齟齬があったのか、紛議が発生しました。
 半額を日本通貨で支払った後に証書を受領したモールスは、償還は英国通貨でなされるべきとして証書文面の修正を要求、日本通貨による償還を主張する神戸市はこれを拒否。モールスは契約解除と損害賠償金支払いを求め訴訟を起こしましたが一審で敗訴となり、その後も再審を請求し紛議は1901(明治34)年まで続きました。(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.428-433掲載「神戸市水道公債売買紛議の真相」(『東京経済雑誌』1901.08.11)より)
 京仁鉄道の売買でモールスと懇意にしていた渋沢栄一はこれを仲裁、紛議発生から2年の歳月を経てようやく両者の間に和解が成りました。『渋沢栄一伝記資料』第28巻にはこの時の和解の協定条項が以下のように紹介されています。

「去明治卅二年以来、神戸市参事会と横浜モールス氏の間に結んて解けさりし神戸水道公債紛議事件は、其後内外の人士にして仲裁を試むるなきに非りしも、容易に局を結ぶに至らさりしが、青渊先生は事の対外関係にして其影響する所重大なるを以て、双方の間に立て深く斡旋せらるゝありしが、去十二月廿日神戸市の側よりは市長坪野平太郎・市参事会員神田兵右衛門・同山本繁造の三氏を招き、之に相手方なるモールス氏を加へ、兜町の先生事務所に会し、茲に全く従来の紛議を和解協定するに至れり、今其協定条項を掲載すれば左の如し
  明治参拾弐年大日本帝国神戸市参事会市長が発行せし水道公債の売買に関し、債券売人たる神戸市参事会市長と買人たる米国人「ゼイアール・モールス」氏との間に生じたる紛議の仲裁を、今般当事者双方の合意に依りて男爵渋沢栄一に依頼し、同男に於て審理の末和解協定せしめられたる条項左の如し
  第一、曩に神戸市参事会市長が「モールス」氏へ売渡したる水道債券額面五拾万円の半高弐拾五万円は、其際「モールス」氏が仕払ひたると同価格を以て、本年十二月三十一日限り神戸市参事会市長が之を買戻すべき事
   但其取引は横浜市に於て之を行ふべき事
  第二、「モールス」氏の保有する残額弐拾五万円の水道債券に対しては、神戸市参事会市長は日本貨壱円に対し弐志○片拾六分の拾参の割合を以て英貨にて其元利を仕払ふべき旨を明記したる新債券を成るべく至急調製して、神戸市に於て従前の債券と引換に「モールス」氏に交附すへき事
   但本項新債券の元利を英貨にて仕払ふの件は、債券引換の終了すると否とに拘はらず、来る明治参拾五年一月一日より其効力を生すへきものとす
  第三、右の二項を協定したるに付ては、当事者双方は現に東京控訴院に提出しある訴訟を取下げ、従来双方の間に懐抱したる悪感情を除去し、共に信義を守りて交情を厚くすべき事
  右仲裁せし証として茲に記名調印致候也
   明治三十四年十二月二十日     仲裁者 渋沢栄一
 右御仲裁の条項、双方共合意承諾致候に付、茲に記名調印致候也
                    当事者
             神戸市参事会市長 坪野平太郎
             市参事会員      神田兵右衛門
             市参事会員      山本繁造
                          James R .Morse.」
(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.427-428収載 『竜門雑誌』第164号p.36-37 明治35年1月「青渊先生の神戸市対モ―ルス氏間紛議の調停」より)

[ 参考リンク ]

マーチャント・バンク / 山本利久 (『新潟産業大学経済学部紀要』第29号(2005.08)p.89-110)〔CiNii 論文〕


出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 / 2部 社会公共事業 / 6章 政治・自治行政 / 2節 自治行政 / 8款 神戸市水道公債問題 【第28巻 p.426-433】