[ 解説 ]
興譲館は1853(嘉永7)年、備中寺戸村に開かれた郷校です。渋沢栄一は一橋家仕官時代に備中を訪れ、奇しくも後に女婿となった阪谷芳郎の父、阪谷素(朗廬:ろうろ、1822-1881。儒学者、漢学者)を訪ねて時勢談などを交わしました。栄一はその時の印象から、碩学と評判の興譲館初代館長、阪谷素について「攘夷派ばかりの漢学者の中で、断固として開港主義を貫き、反対攻撃を受けても自説を変えなかった、真に先見の明ある人」と賞讃しています。
阪谷朗廬は1868(明治元)年に興譲館長職を退きました。興譲館の組織は私立学校から社団法人となり、さらに1926(大正15)年には財団法人となりました。財団設立当時、その運営規則「寄付行為」に記された館の目的は「永久私立学校として学問の自由を尊重、社会各般の真理を研鑽し、知徳体兼備の人材を養成、人類の安寧幸福を増進する」というものでした。
朗廬が館長を務めた当初の校門は後に岡山県の史蹟に指定されています。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 3節 其他ノ教育関係 / 21款 財団法人興譲館 付阪門会 【第46巻 p.90-97】