[ 解説 ]
南湖(なんこ)は松平定信が白河藩主時代に沼地を造成して庶民に開放した庭園で、日本最古の公園といわれています。その一角にある南湖神社は、白河藩主松平定信(楽翁)を祀る神社です。渋沢栄一は南湖神社設立にあたって依頼を受けて総裁に就任、資金集めなどで尽力しました。神社は1922(大正11)年に完成、栄一はその後1927(昭和2)年設立の南湖神社奉賛会でも総裁に就任しています。
1929(昭和4)年、白河町の有志は栄一への敬慕の意を表するために神社境内に石碑を建立しました。そこには徳川家達による「仰徳報恩」の題字のもと、神社建立に栄一が尽力したこと、栄一が定信を敬慕したように白河町民もまた栄一を敬慕して碑を建立したことなどが三上参次の撰により記されています。
栄一が関与した養育院やガス事業など、東京整備の資金源となった江戸七分積金は松平定信による寛政の改革を源流とする基金でした。渋沢栄一は定信を深く尊敬、東京で組織された楽翁公遺徳顕彰会でも会長を務めました。また伝記『楽翁公伝』編纂も企図しましたが、完成したのは栄一没後の1937(昭和12)年のことでした。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 2節 神社[承前] / 8款 南湖神社関係 / 1 大礼記念楽翁公奉祀表徳会 【第41巻 p.623-626】