[ 解説 ]
ベルナルド・ベッテルハイム(Bernard Jean Bettelheim, 1811-1870)は1846年から1853年まで琉球に滞在した宣教医です。ハンガリー生まれのベッテルハイムはブタペスト、ウィーンで医学を修め、イタリアで医学博士となりました。その後トルコ等での軍医時代を経て英国でキリスト教を修め、1845年9月に布教のため英国を出帆、香港経由で翌年5月に那覇に上陸を果たしています。
ベッテルハイムは琉球政府や薩摩藩の監視下で迫害を受けながらも住民に医薬を施し英語や科学を教え、さらに新約聖書の琉球語訳も行いました。ペリー艦隊寄港時には通訳を務め、1853年に艦隊とともに離日、以後米国で日本と琉球の紹介に努めています。
1926年、島民をはじめとする有志はベッテルハイム来島80年を記念して碑を建立しました。かつてベッテルハイムが住居とした那覇・護国寺に建てられた碑には、土台に同氏ゆかりの9カ国の石、碑石は米国から寄贈された石が使われました。渋沢栄一は米宣教師アール・ブル(Earl Rankin Bull, 1876-1974)の依頼を受けてこの事業に協力をしています。『伝記資料』には栄一が贈呈した記念樹がその碑の背後に植え付けられたことが記されています。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 4節 国際記念事業 / 5款 其他 / 2 ベルナルド・ベテルハイム記念碑建設 【第38巻 p.502-509】