トピック詳細
フランシスコ・ザビエル顕彰事業に協力
ザベリヨ記念碑建設
『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 4節 国際記念事業 / 5款 其他 / 1 ザベリヨ記念碑建設 【第38巻 p.489-502】
1924(大正13)年7月11日(84歳)
是日、フランス共和国人神父アー・ヴィリヨン、鮎川義介と共に飛鳥山邸に栄一を訪ひ、山口県山口町大道寺に於ける、ザベリヨ記念碑建設に対して援助を乞ふ。栄一乃ち三井・岩崎両家に申入れ、各三千円の寄付をなさしむ。大正十五年九月十七日ヴィリヨン再び飛鳥山邸に来訪し、右記念碑維持に関し重ねて援助を乞ふ。栄一、古河虎之助・森村開作等に寄付を勧誘して援助す。
[ 解説 ]  1923(大正12)年、山口県でフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier, 1506-1552)を記念する碑の建立が計画されました。長年ザビエルの足跡を調査、記念碑建立にも尽力したフランス人神父エメ・ヴィリヨン(Aim~ Villion, 1843-1932)は、1924(大正13)年7月に飛鳥山に渋沢栄一を訪ね、資金援助を依頼しました。
 その依頼に対し、渋沢栄一は自ら寄付するとともに、三井家や岩崎家にも援助依頼を取り次ぐなど碑の建設に協力しています。「ザベリヨ(ザビエル)記念碑」はザビエル布教拠点の大道寺跡地と目された地に無事完成、同年10月16日には除幕式が挙行されました。
 栄一は碑が完成した後も周辺整備のための資金集めに協力しています。更に1927(昭和2)年には、ヴィリヨン神父を記念する胸像建設計画でも依頼を受けて発起人に名を連ね、顧問を務めました。
 ザベリヨ記念碑銅板レリーフと神父の胸像は戦争中の金属供出で消失しましたが、1959(昭和24)年、ザビエル渡来四百年を機に地元彫刻家の手によって再建されました。

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山口
フランシスコ・ザビエル顕彰事業に協力
ザベリヨ記念碑建設
1924(大正13)年7月11日(84歳)
是日、フランス共和国人神父アー・ヴィリヨン、鮎川義介と共に飛鳥山邸に栄一を訪ひ、山口県山口町大道寺に於ける、ザベリヨ記念碑建設に対して援助を乞ふ。栄一乃ち三井・岩崎両家に申入れ、各三千円の寄付をなさしむ。大正十五年九月十七日ヴィリヨン再び飛鳥山邸に来訪し、右記念碑維持に関し重ねて援助を乞ふ。栄一、古河虎之助・森村開作等に寄付を勧誘して援助す。
[ 解説 ]
 1923(大正12)年、山口県でフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier, 1506-1552)を記念する碑の建立が計画されました。長年ザビエルの足跡を調査、記念碑建立にも尽力したフランス人神父エメ・ヴィリヨン(Aim~ Villion, 1843-1932)は、1924(大正13)年7月に飛鳥山に渋沢栄一を訪ね、資金援助を依頼しました。
 その依頼に対し、渋沢栄一は自ら寄付するとともに、三井家や岩崎家にも援助依頼を取り次ぐなど碑の建設に協力しています。「ザベリヨ(ザビエル)記念碑」はザビエル布教拠点の大道寺跡地と目された地に無事完成、同年10月16日には除幕式が挙行されました。
 栄一は碑が完成した後も周辺整備のための資金集めに協力しています。更に1927(昭和2)年には、ヴィリヨン神父を記念する胸像建設計画でも依頼を受けて発起人に名を連ね、顧問を務めました。
 ザベリヨ記念碑銅板レリーフと神父の胸像は戦争中の金属供出で消失しましたが、1959(昭和24)年、ザビエル渡来四百年を機に地元彫刻家の手によって再建されました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 4節 国際記念事業 / 5款 其他 / 1 ザベリヨ記念碑建設 【第38巻 p.489-502】