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北東一の良港、他に比肩する者無かるべし
大船渡築港鉄道株式会社
『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年~四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 23節 土木・築港 / 8款 大船渡築港鉄道株式会社 【第13巻 p.220-241】
1906(明治39)年7月7日(66歳)
是より先栄一、奥羽地方開発のため雨宮敬次郎等と岩手県大船渡地方に鉄道を敷設し、併せて製鉄船渠業を創立せんと図り、是日大船渡築港鉄道株式会社創立委員となる。十月十六日其委員長に推され、爾後政府当局者に対し補助金下附申請を始めとし種々斡旋に努めたれども、四十二年六月に至り其職を辞す。
[ 解説 ]  1906(明治39)年、大船渡を東北発展の要とすべく、渋沢栄一ら実業家は大船渡築港鉄道設立を企図、政府への援助を申請しました。その計画は築港とともに同港から日本海側へ横貫する鉄道の敷設、さらには製鉄業や船渠会社の設立までを視野に入れた壮大なものでした。栄一は、天然の良港大船渡が整備・開港されたら他に比肩するもののない「東北一の良港」になるだろう、政府援助は不可欠と説き、同社設立に向けて尽力しましたが1909(明治42)年6月に辞任。同社のその後は不明ですが、大船渡港は1922(大正11)年に内務省の指定港となり、後に大船渡線開通により内陸との物流拠点となりました。
 大船渡は、1933(昭和8)年に昭和三陸地震、1960(昭和35)年にチリ地震の津波による甚大な被害を被りますが、その都度対策を講じて復興を果たし、2004(平成16)年には港湾・臨海部の活性化に寄与した港として「ポート・オブ・ザ・イヤー2004」のグランプリを受賞。しかし、2011(平成23)年3月11日には東日本大震災により再度甚大な被害を被りました。
 震災の発生から約半年後の10月31日、大船渡は市議会第4回臨時会で「大船渡市復興計画」を議決、「被災者が生活を再建するとともに、市民が幸せを感じ、誇りをもてるまち」の再生に向けた取り組みを始めました。

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岩手
北東一の良港、他に比肩する者無かるべし
大船渡築港鉄道株式会社
1906(明治39)年7月7日(66歳)
是より先栄一、奥羽地方開発のため雨宮敬次郎等と岩手県大船渡地方に鉄道を敷設し、併せて製鉄船渠業を創立せんと図り、是日大船渡築港鉄道株式会社創立委員となる。十月十六日其委員長に推され、爾後政府当局者に対し補助金下附申請を始めとし種々斡旋に努めたれども、四十二年六月に至り其職を辞す。
[ 解説 ]
 1906(明治39)年、大船渡を東北発展の要とすべく、渋沢栄一ら実業家は大船渡築港鉄道設立を企図、政府への援助を申請しました。その計画は築港とともに同港から日本海側へ横貫する鉄道の敷設、さらには製鉄業や船渠会社の設立までを視野に入れた壮大なものでした。栄一は、天然の良港大船渡が整備・開港されたら他に比肩するもののない「東北一の良港」になるだろう、政府援助は不可欠と説き、同社設立に向けて尽力しましたが1909(明治42)年6月に辞任。同社のその後は不明ですが、大船渡港は1922(大正11)年に内務省の指定港となり、後に大船渡線開通により内陸との物流拠点となりました。
 大船渡は、1933(昭和8)年に昭和三陸地震、1960(昭和35)年にチリ地震の津波による甚大な被害を被りますが、その都度対策を講じて復興を果たし、2004(平成16)年には港湾・臨海部の活性化に寄与した港として「ポート・オブ・ザ・イヤー2004」のグランプリを受賞。しかし、2011(平成23)年3月11日には東日本大震災により再度甚大な被害を被りました。
 震災の発生から約半年後の10月31日、大船渡は市議会第4回臨時会で「大船渡市復興計画」を議決、「被災者が生活を再建するとともに、市民が幸せを感じ、誇りをもてるまち」の再生に向けた取り組みを始めました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年~四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 23節 土木・築港 / 8款 大船渡築港鉄道株式会社 【第13巻 p.220-241】