[ 解説 ]
渋沢栄一は港湾設備が地域発展に果たす役割を重視していました。東京市区改正の検討に際しても築港を「第一着手とすべし」と述べ、門司、若松、大船渡など各地の築港事業に関与しました。門司築港に際しては地域有志から相談を受けてこれを支援、築港会社創立時には相談役に就任しています。
かつて漁村であった門司は開港により急成長を遂げ、1899(明治32)年には周辺の地域に先駆け市制施行で門司市に、やがて外国航路船も寄港する主要港として、世界に向けて開く日本の玄関口の一つとなりました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年~四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 23節 土木・築港 / 5款 門司築港会社 【第13巻 p.207-210】