[ 解説 ]
京都織物は海外で染織を学んだ技術者や京都の政財界人等により1887(明治20)年に設立された大規模な洋式織物会社です。渋沢栄一は同社設立にあたって相談を受け、設立後も相談役、取締役会長等を歴任しています。
当初は鹿鳴館に象徴される欧化政策から洋生地需要が見込まれていたものの、設立年には既に欧化の波は衰退、同社は創業早々、困難に直面しました。その後、不況などの厳しい状況に遭遇しながらも新素材製織によって海外へも絹織物を輸出、事業を拡大しました。
1904(明治37)年、大病を患った渋沢栄一は同年12月31日に京都織物株式会社の取締役を辞任しました。『渋沢栄一伝記資料』第10巻p.624には、この時栄一が京都織物取締役会長田中源太郎に宛てた辞任書が次のように紹介されています。
「辞任書
拙者儀過般来ノ大患幸ヒ快癒ニ赴キ候ヘトモ、尚従前ノ健康ニ復セサルニ付、事務減省致度存候間、貴社取締役辞任仕候、此段申上候也
明治卅七年十二月卅一日 渋沢栄一
京都織物株式会社 取締役会長 田中源太郎殿」
(『渋沢栄一伝記資料』第10巻p.624収載 「京都織物株式会社所蔵文書」より)
翌1905(明治38)年1月、京都織物の株主総会では栄一に相談役に就任するよう懇請することを決議、栄一はそれを受けて1909(明治42)年まで相談役として同社経営に関与しています。
1968(昭和43)年、京都織物は業績不振のため解散、その本社建物は京都大学に継承されました。一方、『渋沢栄一伝記資料』に掲載された京都織物所蔵諸資料については2014年9月現在、その所在は確認できていません。
[ 参考リンク ]
▶京都織物株式会社〔写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から - 関西編〕
▶ 渋沢栄一関連会社社名変遷図 >> 蚕糸絹織業 A(京都織物会社)〔渋沢栄一記念財団 渋沢栄一〕
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 2節 蚕糸絹織業 / 1款 京都織物株式会社 【第10巻 p.624-628】