[ 解説 ]
日出紡織は大川英太郎(おおかわ・えいたろう、1856-1933。渋沢栄一の甥、当時大阪紡績取締役)が関西の有力者とともに和歌山県日高郡(現・御坊市)に設立した会社です。
日高は紡績に適した温度湿度に恵まれ、木材運搬にも利用される日高川があり、交通の便も良い場所でした。大川はこれらの好条件に加え、東京や大阪の紡績工場に出稼ぎに行く女性が多いことから工場設置が労使双方の役に立つであろうこと、そして「素朴勤勉な気風が頼もしい」ことなどをあげて、日高を「全ての点において申し分ない」紡績工場地であると表現しています。
渋沢栄一は当初「日高紡績」と仮定されていた社名を、将来の事業拡張などを考慮して改名するよう大川に進言、その結果「日出紡織」の社名で創業することとなりました。1941(昭和16)年、日出紡織は和歌山紡織、出雲製織、錦華紡績との四社合併で大和紡績(1941-1944)となり、本拠地を大阪に移しました。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年~昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 1節 綿業 / 2款 日出紡織株式会社 【第52巻 p.134-151】