[ 解説 ]
安生順四郎(あんじょう・じゅんしろう、1847‐1928)、矢板武(やいた・たけし、1849-1922)ら地元有志により組織された日光鉄道会社は、1887(明治20)年4月に日光・宇都宮間の鉄道敷設を計画、鉄道局長官に願書を提出しました。当初同社は鉄道局に測量等を依頼したものの「軽便式鉄道」であることを理由に申請は却下され、同社は独自に外国人技師ダイアック(John Diack, 1828-1900。土木技師)と契約、測量設計、器材調達を開始しました。しかしながら当初の見込み以上に費用がかさみ、計画は継続不能となりダイアックとの契約も解消となりました。
同社創立委員長であった渋沢栄一は、地元有志らの依頼を受け、計画が中止となった後も、鉄道局長官井上勝(いのうえ・まさる、1843-1910。鉄道官僚)と日光への鉄道敷設を実現させる相談をしています。
1889(明治22)年6月21日、井上は日本鉄道会社理事委員会に臨席、日光鉄道の買収を勧め、栄一もまた同委員会で日光鉄道の事情について説明をしています。1885(明治18)年に大宮・宇都宮の鉄道を開通させていた日本鉄道会社は、日光鉄道買収に同意、1889(明治22)年9月には協議が整い、翌1890(明治23)年の6月には日本鉄道による宇都宮・今市間の鉄道が開通しました。
『渋沢栄一伝記資料』第8巻p.639-644にはさまざまな文献の再録としてこれらの事情が紹介されています。また同別巻第3のp.58-59には、日光鉄道について言及した安生順四郎宛ての渋沢栄一書簡が紹介されています。
[ 参考リンク ]
▶渋沢栄一関連会社社名変遷図 >> 陸運:東日本 A(日光鉄道会社)〔渋沢栄一記念財団 渋沢栄一〕
出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 / 1部 実業・経済 / 2章 交通 / 2節 鉄道 / 6款 日光鉄道会社 【第8巻 p.639-644】