事業名:京阪電気鉄道株式会社
京阪電気鉄道株式会社木津川架橋工事
京都市
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[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 (青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.103 京阪電気鉄道株式会社
画像名:京阪電気鉄道株式会社木津川架橋工事
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 大阪府北河内郡枚方町大字岡新町二十三番地
一 目的事業 大阪市天満橋南詰を起点とし守口、枚方、八幡、淀、伏見を経て京都市五条東詰に至る電気鉄道を敷設し、一般運輸の業を営み、附帯事業として電気の供給、娯楽機関の経営及土地家屋の賃貸を営む
一 創立年月日 明治三十九年十一月十九日
一 資本金 七百万円(内払込高四百弐拾万千弐百弐拾円)
一 出張所 大阪市今橋三丁目
一 沿革
明治三十年青淵先生外数氏発起人となり、京阪鉄道株式会社設立の出願を為し仮免状を得て期限延長出願中、超えて同三十六年十二月故工学博士南清外数氏首唱となり、畿内電気鉄道株式会社なる名称の許に同一事業経営の出願あり、是に於てか双方競争の不利を認め発起人の合同をなし、京阪電気鉄道株式会社と改称し、同三十九年八月二十五日附を以て設立の特許を得、同年十一月十九日創立総会を開き、四十三年三月工事の竣成を告け、同年四月十五日を以て営業を開始せり、以来成績良好にして、殊に頃者沿道大阪府下友呂岐村地内に香里遊園地を設け、又淀川を利用して鵜船納涼台の設備を為してより、乗客は日を追て増加しつつありと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の創立委員長にして、設立と同時に相談役となりしも、明治四十二年古希の寿に躋りたるを機として之を辞せられたり、
一 現任役員
取締役会長 渡辺嘉一  専務取締役 桑原政  取締役 岡崎邦輔  取締役 村野山人  取締役 佐分利一嗣  取締役 林謙吉郎  常任監査役 田辺貞吉  監査役 田中源太郎  監査役 村井貞之助
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渋沢ゆかりの地

事業名:京阪電気鉄道株式会社
京阪電気鉄道株式会社木津川架橋工事
京都市
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[ マップ上の位置情報について ]
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』 (青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.103 京阪電気鉄道株式会社
画像名:
京阪電気鉄道株式会社木津川架橋工事
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 大阪府北河内郡枚方町大字岡新町二十三番地
一 目的事業 大阪市天満橋南詰を起点とし守口、枚方、八幡、淀、伏見を経て京都市五条東詰に至る電気鉄道を敷設し、一般運輸の業を営み、附帯事業として電気の供給、娯楽機関の経営及土地家屋の賃貸を営む
一 創立年月日 明治三十九年十一月十九日
一 資本金 七百万円(内払込高四百弐拾万千弐百弐拾円)
一 出張所 大阪市今橋三丁目
一 沿革
明治三十年青淵先生外数氏発起人となり、京阪鉄道株式会社設立の出願を為し仮免状を得て期限延長出願中、超えて同三十六年十二月故工学博士南清外数氏首唱となり、畿内電気鉄道株式会社なる名称の許に同一事業経営の出願あり、是に於てか双方競争の不利を認め発起人の合同をなし、京阪電気鉄道株式会社と改称し、同三十九年八月二十五日附を以て設立の特許を得、同年十一月十九日創立総会を開き、四十三年三月工事の竣成を告け、同年四月十五日を以て営業を開始せり、以来成績良好にして、殊に頃者沿道大阪府下友呂岐村地内に香里遊園地を設け、又淀川を利用して鵜船納涼台の設備を為してより、乗客は日を追て増加しつつありと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の創立委員長にして、設立と同時に相談役となりしも、明治四十二年古希の寿に躋りたるを機として之を辞せられたり、
一 現任役員
取締役会長 渡辺嘉一  専務取締役 桑原政  取締役 岡崎邦輔  取締役 村野山人  取締役 佐分利一嗣  取締役 林謙吉郎  常任監査役 田辺貞吉  監査役 田中源太郎  監査役 村井貞之助
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