出典:副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.361 三重紡績株式会社
画像名:三重紡績名古屋営業所
文献に記載されている解説文等:
三重県四日市大字浜町
営業所 名古屋市中ノ町一丁目
出張所 大阪市北区中ノ島三丁目
沿革
明治十三年伊藤伝七氏二三の有志と合資し、三重県三重郡川島村に洋式の紡績所を設け、三重紡績所と称せり、是れ即ち今の川島分工場にして同会社の起原なりとす。
十九年七月同会社を組織し、資本金を二十二万円とし、本社を四日市浜町に設け、三重紡績所を買収して分工場と為せり。当時同社工場の紡錘僅に一万四百四十個に過ぎざりしが、其後二十二年八月第二工場を増設し、爾来幾多の改築増設を経て今日の隆昌を見るに至れり。其概要を摘記せば左の如し。
一 二十六年二月愛知分工場を新設す。
一 三十年二月津分工場を新設す。
一 三十四年二月伊勢紡績会社の工場を買収し、本社の附属工場とす。
一 三十八年七月尾張、名古屋の両紡績会社と合併を為す。
一 三十九年七月津島紡績会社を買収す。
一 同年十月安田商事合名会社の西成紡績所を買収す。
一 四十年七月桑名、知多の両紡績会社と合併を為す。
尚ほ各工場共目下改築増錘の計画中なり。
現況
資本金額 九百六十万円 内払込金額五百八十七万七千六百七十五円
諸積立金 三百十四万七千八百六十三円
紡機錘数 二十五万八千五百六十八錘
撚糸錘数 五千七百四十錘
織機台数 四千六百余台
工手数 一万三千八百八十五人
製造品目 棉糸(八手乃至四十二手) 棉布(天竺、粗布、金巾、綾木棉、棉子ル、生地等)
同会社の工場は十個所ありて、其名称及び所在地左の如し。
本社工場 三重県四日市市浜町
川島分工場 同県三重郡川島村
愛知分工場 愛知県名古屋市下広井町
津分工場 三重県津市船頭町
尾張分工場 愛知県名古屋市熱田尾頭町
名古屋分工場 同県同市正木町
津島分工場 同県海東郡佐織村
西成分工場 大阪府西成郡伝法町
桑名分工場 三重県桑名郡桑名町
知多分工場 愛知県知多郡半田町
重役の氏名左の如し、
取締役会長 男爵 渋沢栄一
取締役 九鬼紋七
取締役 奥田正香
取締役 伊藤伝七
取締役 斎藤恒三
監査役 川喜田四郎兵衛
監査役 岡谷惣助
三重県四日市大字浜町
営業所 名古屋市中ノ町一丁目
出張所 大阪市北区中ノ島三丁目
沿革
明治十三年伊藤伝七氏二三の有志と合資し、三重県三重郡川島村に洋式の紡績所を設け、三重紡績所と称せり、是れ即ち今の川島分工場にして同会社の起原なりとす。
十九年七月同会社を組織し、資本金を二十二万円とし、本社を四日市浜町に設け、三重紡績所を買収して分工場と為せり。当時同社工場の紡錘僅に一万四百四十個に過ぎざりしが、其後二十二年八月第二工場を増設し、爾来幾多の改築増設を経て今日の隆昌を見るに至れり。其概要を摘記せば左の如し。
一 二十六年二月愛知分工場を新設す。
一 三十年二月津分工場を新設す。
一 三十四年二月伊勢紡績会社の工場を買収し、本社の附属工場とす。
一 三十八年七月尾張、名古屋の両紡績会社と合併を為す。
一 三十九年七月津島紡績会社を買収す。
一 同年十月安田商事合名会社の西成紡績所を買収す。
一 四十年七月桑名、知多の両紡績会社と合併を為す。
尚ほ各工場共目下改築増錘の計画中なり。
現況
資本金額 九百六十万円 内払込金額五百八十七万七千六百七十五円
諸積立金 三百十四万七千八百六十三円
紡機錘数 二十五万八千五百六十八錘
撚糸錘数 五千七百四十錘
織機台数 四千六百余台
工手数 一万三千八百八十五人
製造品目 棉糸(八手乃至四十二手) 棉布(天竺、粗布、金巾、綾木棉、棉子ル、生地等)
同会社の工場は十個所ありて、其名称及び所在地左の如し。
本社工場 三重県四日市市浜町
川島分工場 同県三重郡川島村
愛知分工場 愛知県名古屋市下広井町
津分工場 三重県津市船頭町
尾張分工場 愛知県名古屋市熱田尾頭町
名古屋分工場 同県同市正木町
津島分工場 同県海東郡佐織村
西成分工場 大阪府西成郡伝法町
桑名分工場 三重県桑名郡桑名町
知多分工場 愛知県知多郡半田町
重役の氏名左の如し、
取締役会長 男爵 渋沢栄一
取締役 九鬼紋七
取締役 奥田正香
取締役 伊藤伝七
取締役 斎藤恒三
監査役 川喜田四郎兵衛
監査役 岡谷惣助