事業名:財団法人東京女学館 付.女子教育奨励会
女子教育奨励会
千代田区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の女子教育奨励会(麹町区三年町1番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.137 女子教育奨励会
画像名:女子教育奨励会
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市麹町区三年町一番地(虎門内)
一 目的事業 女子教育の奨励及家事の訓練
一 創立年月 明治二十年十二月
一 沿革
当会は明治二十年十二月青淵先生外数氏の主唱により、朝野貴顕紳士の賛同を得て創立したるものにして、其目的は本邦貴婦人に欧米諸国の貴婦人と同等なる佳良の教育及ひ家事の訓練を受けしむるにあり、而して当会は如上の目的を達せんが為め、同二十一年九月、一校舎を赤坂見附内に設立す、之を東京女学館とす、後ち二十三年現在の場所即ち麹町区三年町(虎門内)に移転せり、当会は創立の当時北白川宮能久親王殿下を推戴して会長と仰きたりしが、明治二十八年同宮殿下御薨去の後は、評議員長伯爵土方久元氏推されて総裁となり、専ら会務を統轄せり、而して当会は今や其基礎愈々鞏固を加へ、東京女学館亦年を趁ふて声価を高め、益々隆盛に赴きつつありと云ふ、
一 当会と青淵先生との関係
青淵先生は当会創立の首唱者にして、其成立の当初より推されて評議員となり専ら資金の募集及ひ会計監督の任に当り、爾来茲に二十有余年終始一日の如く会務に尽瘁せられつつあり、当会今日の鞏固を見るに至りし所以のもの亦先生に負ふ所尠なしとせざるなり、
一 現任役員
   評議員長伯爵 土方久元  評議員 富田鉄之助
   評議員男爵 渋沢栄一  評議員 長崎省吾
   評議員男爵 神田乃武  評議員理学博士 桜井錠二
   評議員男爵理学博士 菊池大麓  評議員法学博士 増島六一郎
   評議員男爵 辻新次  評議員法学博士 穂積陳重
   評議員 伊沢修二
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渋沢ゆかりの地

事業名:財団法人東京女学館 付.女子教育奨励会
女子教育奨励会
千代田区
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の女子教育奨励会(麹町区三年町1番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.137 女子教育奨励会
画像名:
女子教育奨励会
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市麹町区三年町一番地(虎門内)
一 目的事業 女子教育の奨励及家事の訓練
一 創立年月 明治二十年十二月
一 沿革
当会は明治二十年十二月青淵先生外数氏の主唱により、朝野貴顕紳士の賛同を得て創立したるものにして、其目的は本邦貴婦人に欧米諸国の貴婦人と同等なる佳良の教育及ひ家事の訓練を受けしむるにあり、而して当会は如上の目的を達せんが為め、同二十一年九月、一校舎を赤坂見附内に設立す、之を東京女学館とす、後ち二十三年現在の場所即ち麹町区三年町(虎門内)に移転せり、当会は創立の当時北白川宮能久親王殿下を推戴して会長と仰きたりしが、明治二十八年同宮殿下御薨去の後は、評議員長伯爵土方久元氏推されて総裁となり、専ら会務を統轄せり、而して当会は今や其基礎愈々鞏固を加へ、東京女学館亦年を趁ふて声価を高め、益々隆盛に赴きつつありと云ふ、
一 当会と青淵先生との関係
青淵先生は当会創立の首唱者にして、其成立の当初より推されて評議員となり専ら資金の募集及ひ会計監督の任に当り、爾来茲に二十有余年終始一日の如く会務に尽瘁せられつつあり、当会今日の鞏固を見るに至りし所以のもの亦先生に負ふ所尠なしとせざるなり、
一 現任役員
   評議員長伯爵 土方久元  評議員 富田鉄之助
   評議員男爵 渋沢栄一  評議員 長崎省吾
   評議員男爵 神田乃武  評議員理学博士 桜井錠二
   評議員男爵理学博士 菊池大麓  評議員法学博士 増島六一郎
   評議員男爵 辻新次  評議員法学博士 穂積陳重
   評議員 伊沢修二
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