事業名:東京海上保険株式会社(東京海上火災保険株式会社)
東京海上保険株式会社
千代田区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京海上保険(麹町区八重洲町1-1)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.18 東京海上保険
画像名:東京海上保険株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市麹町区八重洲町一丁目一番地
一 目的事業 海上保険業
一 創立年月日 明治十二年八月一日
一 資本金 参百万円(内払込高七拾五万円)
一 積立金 五百九拾万参千九百参拾弐円
一 壱箇年保険契約高 六億五千弐百五拾五万七千五百六拾六円
一 壱箇年利益金 四拾五万四千八百五拾四円
一 配当率 年四割
一 支店所在地 大阪 神戸
一 沿革
当社は明治十二年資本金六拾万円を以て創立したるものにして、我邦各種保険業の鼻祖なり、其初め青淵先生、華族諸氏を勧め一の組合を結び、京浜間鉄道の払下を太政官に出願し、既に其許可を得て一部払下代金の上納を為したりしに、時偶ま金禄公債整理処分の事あり、為めに華族の収入に多大の影響を及ぼし、組合加盟者中爾後出資に困難を感するものあるに至りしを以て、遂に払下中止の議起り、上納金還付の請願をなすに至りしかば、先生は大に之を遺憾とし、更に華族諸氏を説て右払下還付金中五十万円を以て海上保険の業務を経営するの資に供せんことを勧め、一方には三菱会社長故岩崎弥太郎氏を勧誘して、同社を株主に加入せしめ、双方の出資を併せ資本金額を六十万円となし、以て一社を組織し侯爵蜂須賀茂韶、侯爵伊達宗城、柏村信、二橋元長、寺西成器の五氏を取締役に、青淵先生、岩崎弥太郎二氏を相談役に、益田克徳氏を支配人に選任し、明治十二年八月一日を以て始て貨物海上保険の業務を開始せり、是れ即ち東京海上保険会社の起原なり、当社は斯くて同十六年十一月に至り農商務省より船舶保険を兼営せしむるの命令あり、依て資本金を増加して百万円となし、後更に業務の発展に伴ひ、数次に資本金を増加して其総額を参百万円とせり、当社は創立以来茲に約三十余年、其間幾多の困難挫折に遭遇し、一時は殆と解散の巳むなき悲境に陥りたることありしも、幸に当任者其人を得、忍耐と勉励との結果遂に今日の盛況を来し、同業者中の首位を占むるに至れりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の創立主唱者にして、創業の当時より相談役となりて社務の枢機に参与し、後明治二十七年更に取締役として其経営に尽瘁せられたるも、昨四十二年古希の寿に躋りたるを機として其任を辞せられたり、
一 現任役員
   取締役会長 末延道成  取締役 荘田平五郎
   取締役 佐々木慎思郎  監査役 瓜生震
   取締役 小川〓[金+冉:ぜん]吉  総支配人 各務鎌吉
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渋沢ゆかりの地

事業名:東京海上保険株式会社(東京海上火災保険株式会社)
東京海上保険株式会社
千代田区
画像1
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京海上保険(麹町区八重洲町1-1)周辺を示す。
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.18 東京海上保険
画像名:
東京海上保険株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市麹町区八重洲町一丁目一番地
一 目的事業 海上保険業
一 創立年月日 明治十二年八月一日
一 資本金 参百万円(内払込高七拾五万円)
一 積立金 五百九拾万参千九百参拾弐円
一 壱箇年保険契約高 六億五千弐百五拾五万七千五百六拾六円
一 壱箇年利益金 四拾五万四千八百五拾四円
一 配当率 年四割
一 支店所在地 大阪 神戸
一 沿革
当社は明治十二年資本金六拾万円を以て創立したるものにして、我邦各種保険業の鼻祖なり、其初め青淵先生、華族諸氏を勧め一の組合を結び、京浜間鉄道の払下を太政官に出願し、既に其許可を得て一部払下代金の上納を為したりしに、時偶ま金禄公債整理処分の事あり、為めに華族の収入に多大の影響を及ぼし、組合加盟者中爾後出資に困難を感するものあるに至りしを以て、遂に払下中止の議起り、上納金還付の請願をなすに至りしかば、先生は大に之を遺憾とし、更に華族諸氏を説て右払下還付金中五十万円を以て海上保険の業務を経営するの資に供せんことを勧め、一方には三菱会社長故岩崎弥太郎氏を勧誘して、同社を株主に加入せしめ、双方の出資を併せ資本金額を六十万円となし、以て一社を組織し侯爵蜂須賀茂韶、侯爵伊達宗城、柏村信、二橋元長、寺西成器の五氏を取締役に、青淵先生、岩崎弥太郎二氏を相談役に、益田克徳氏を支配人に選任し、明治十二年八月一日を以て始て貨物海上保険の業務を開始せり、是れ即ち東京海上保険会社の起原なり、当社は斯くて同十六年十一月に至り農商務省より船舶保険を兼営せしむるの命令あり、依て資本金を増加して百万円となし、後更に業務の発展に伴ひ、数次に資本金を増加して其総額を参百万円とせり、当社は創立以来茲に約三十余年、其間幾多の困難挫折に遭遇し、一時は殆と解散の巳むなき悲境に陥りたることありしも、幸に当任者其人を得、忍耐と勉励との結果遂に今日の盛況を来し、同業者中の首位を占むるに至れりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の創立主唱者にして、創業の当時より相談役となりて社務の枢機に参与し、後明治二十七年更に取締役として其経営に尽瘁せられたるも、昨四十二年古希の寿に躋りたるを機として其任を辞せられたり、
一 現任役員
   取締役会長 末延道成  取締役 荘田平五郎
   取締役 佐々木慎思郎  監査役 瓜生震
   取締役 小川〓[金+冉:ぜん]吉  総支配人 各務鎌吉
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