事業名:東京市養育院
東京市養育院安房分院開設十二周年記念(大正10年6月16日)
館山市
画像1
[撮影日] 1921(大正10)年6月16日 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.131 
画像名:東京市養育院安房分院開設十二周年記念(大正10年6月16日)
文献に記載されている解説文等:
[P.131] 栄一の養育院院長は明治初期から歿年まで続くが、この間倦む事なく事業の育成に努力したのである。上野に始まった当院は神田、本所と移り、明治二十九年には大塚に移った。以後感化部の設置、虚弱児童のための安房分院の設立、癩患者の処置、無料宿泊所、看護婦・産婆の養成等が行われた。安房分院の磨崖碑は大正六年六月八日竣工式が行われたが、碑面は高さ三十尺、横幅二十七尺の巨大な碑で、文字の大きさは一尺四方である。
 又、養育院には皇后陛下の御下賜金が度々あった事は栄一の栄誉であった。「東京市養育院写真帖」は発刊年次を欠くが大正初期のものと思われ、養育院の全般を写真にしているがここには数葉を収めた。
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渋沢ゆかりの地

事業名:東京市養育院
東京市養育院安房分院開設十二周年記念(大正10年6月16日)
館山市
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『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.131 
画像名:
東京市養育院安房分院開設十二周年記念(大正10年6月16日)
文献に記載されている解説文等:
[P.131] 栄一の養育院院長は明治初期から歿年まで続くが、この間倦む事なく事業の育成に努力したのである。上野に始まった当院は神田、本所と移り、明治二十九年には大塚に移った。以後感化部の設置、虚弱児童のための安房分院の設立、癩患者の処置、無料宿泊所、看護婦・産婆の養成等が行われた。安房分院の磨崖碑は大正六年六月八日竣工式が行われたが、碑面は高さ三十尺、横幅二十七尺の巨大な碑で、文字の大きさは一尺四方である。
 又、養育院には皇后陛下の御下賜金が度々あった事は栄一の栄誉であった。「東京市養育院写真帖」は発刊年次を欠くが大正初期のものと思われ、養育院の全般を写真にしているがここには数葉を収めた。
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