事業名:富岡製糸場払下問題
ブリューナー他(明治5年) 白衣、柱に寄りかかっているのがブリューナー。他に繰糸事業教師、医師、建築技師、女工教師、吉田通訳等
富岡市
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは富岡製糸場を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.49 
画像名:ブリューナー他(明治5年) 白衣、柱に寄りかかっているのがブリューナー
文献に記載されている解説文等:
[P.048] 富岡製糸場は明治三年大蔵少輔伊藤博文・租税頭【←誤。租税正】渋沢栄一が命ぜられて設立したもので、フランス人ブリューナーを雇入れて創業に当った。工場建設並びに操業開始に尽力したのは当時民部省に出仕していた尾高惇忠である。惇忠は工場建設の資材、即ち木材から煉瓦の製造、組立にまで努めたと言われ、工女募集についても自らの子女を率先して応募させた。明治二十六年民間に払下げられて、経営者は幾変転して現在は片倉工業の経営下にある。煉瓦建の工場は旧時の儘で残っている。
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渋沢ゆかりの地

事業名:富岡製糸場払下問題
ブリューナー他(明治5年) 白衣、柱に寄りかかっているのがブリューナー。他に繰糸事業教師、医師、建築技師、女工教師、吉田通訳等
富岡市
画像1
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは富岡製糸場を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『渋沢栄一伝記資料』別巻第十 (竜門社,1971)p.49 
画像名:
ブリューナー他(明治5年) 白衣、柱に寄りかかっているのがブリューナー
文献に記載されている解説文等:
[P.048] 富岡製糸場は明治三年大蔵少輔伊藤博文・租税頭【←誤。租税正】渋沢栄一が命ぜられて設立したもので、フランス人ブリューナーを雇入れて創業に当った。工場建設並びに操業開始に尽力したのは当時民部省に出仕していた尾高惇忠である。惇忠は工場建設の資材、即ち木材から煉瓦の製造、組立にまで努めたと言われ、工女募集についても自らの子女を率先して応募させた。明治二十六年民間に払下げられて、経営者は幾変転して現在は片倉工業の経営下にある。煉瓦建の工場は旧時の儘で残っている。
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