【社会公共事業】
女子教育A〔教育〕

2019年3月29日作成 / 2022年6月30日改訂

渋沢栄一は伊藤博文の勧めに従い、1886年の女子教育奨励会設立に参加し、評議員のちに評議員長となりました。1888年に同会によって開校した東京女学館では会計監督、館長を務めました。1930年に設立した(財)東京女学館では理事長となりました。一方、大隈重信の紹介で栄一は、のちに日本女子大学校の創立者となる成瀬仁蔵と会見し、同校の設立、発展にも寄与しました。

変遷図

※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。

会社名・団体名一覧

は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。

会社名・団体名 名称使用年 渋沢栄一の関わり
女子教育奨励会 1886〜1930 評議員、評議員長
東京女学館 1888~ 会計監督、館長
(財)東京女学館 1930〜1951 理事長
(学)東京女学館 1951〜
日本女子大学校 1896〜1905 創立委員、会計監督、建築委員、教務委員
(財)日本女子大学校 1905〜1951 評議員、校長
(学)日本女子大学 1951〜