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「論語とそろばん」セミナー2014 開催報告【レポート】

日  程 2014/1/18〜2014/3/13 開催地 日本・東京/東京商工会議所

▼ 第1回 社会企業家の先駆者、渋沢栄一 2月6日(木)
▼ 第2回 渋沢栄一の「論語とそろばん」思想と実践を読み解く 2月18日(火)
▼ 第3回 経営者インタビュー(1) 「論語とそろばん」と現代の経営 3月4日(火)
▼ 第4回 経営者インタビュー(2) 「論語とそろばん」と現代の経営 3月13日(木)
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掲載日 2014年6月17日


【第1回】 社会企業家の先駆者、渋沢栄一 2月6日(木)

講師:島田昌和(文京学院大学経営学部教授)

今日に活かすモデルとしての「合本主義」

修士課程在籍中から渋沢栄一の研究を始め、今では渋沢に関する著作が数冊ある島田氏は、執筆者として参加した最新の研究書『グローバル資本主義の中の渋沢栄一』(パトリック・フリデンソン、橘川武郎共編著、東洋経済新報社、2014年)について、その目的と意味を説明した。渋沢は生涯「合本」「合本法」という言葉を使い続けた。株式会社や資本主義とは異なる渋沢の「合本主義」とは何かを日米英仏の経済史、経営史専門家が考察した共同研究の成果が同書である。島田氏によると、この研究には3つの視点があった。第1に、昨今行き詰まりを見せているグローバル資本主義を見直すヒントが、合本主義を考える中にあるのではないか。第2に、日本の経済社会の発展に渋沢が与えた影響を考えることで、現在成長著しい新興国の安定成長の行方を探れるのではないか。そして第3にこれらの示唆を得るためには、渋沢の経営手法、渋沢モデルというものを明らかにする必要があるということである。当初渋沢栄一に対して懐疑的だった海外研究者らも、研究を進めるうちに、グローバル資本主義に代わるリアリティのあるモデルとしての渋沢の可能性を積極的に主張するようになったという。

渋沢は資本主義の仕組みを日本に導入し、道徳心のあるビジネスマンたちが運営する仕組みを確立したと思ったが、実業界から引退した後に振り返ると、「人」の部分がうまくいっていなかったことに気がついた。そこで、晩年になって道徳を強調するようになったと島田氏は語る。その大本に合本主義があり、渋沢はこれを資本主義と明確に使い分けていた。渋沢は20代でフランスに渡ったとき、軍人も銀行家も同等に会話をし、国王さえも商いのことを口にする社会を目の当たりにして衝撃を受け、官尊民卑の打破こそが近代社会に欠かせないと考えた。その為の装置が合本組織であり、思想が合本主義であると考えられる。渋沢は次のような言葉で合本主義を説明した。

・「商社は会同一和する者のとも(とも)に利益を謀り生計を営むものなれとも、又能(よ)く物資の流通を助く、故に社を結ぶ人、全国の公益に心を用いん事を要とす」渋沢栄一述『立会略則』 大蔵省、一八七一年、二九―三一頁

・「一人だけ富んでそれで国は富まぬ。国家が強くはならね。殊に今日全体から商工業者の位置が卑しい、力が弱いと云ふことを救いたいと覚悟するならば、どうしても全般に富むことを考へるより外はない。全股に富むと云ふ考は、是は合本法より外にない」渋沢栄一「青淵先生訓言」『竜門雑誌』第249号、一九〇九年、五頁

つまり渋沢は私たちが今日考えているような株主価値の最大化、私的利潤追求の装置としての資本主義とは異なる、公益の実現のための装置として株式会社制度を日本に導入した。

次に、渋沢の人材登用、資金調達、ビジネス手法、運営のモニタリングなどから渋沢式株式会社制度を具体的に読み解いた。渋沢は当時の日本のトップ50企業の約半数の役員を務めていたが、代理人は使わず、自らが役員会に出席して経営に大きな影響力を持っていた。資金調達に関しては、公益性の高い事業は株式会社、ハイリスクハイリターン型の事業は限られた出資者による合資会社、小規模ビジネスは合名会社と、出資方法を使い分けていた。また株主総会では多数決は取らず、粘り強く時間をかけて合意へと導いた。こうした渋沢のオープンマーケット型のビジネスモデルは、一見三菱や三井の財閥型の仕組みとは相いれないように見えるが、渋沢は財閥の経営者らとも深いつながりを持っており、2つのモデルが相互補完的に働いて明治期の日本の資本主義が発展してきたといえる。

現代の新興国においては、スピードを重視するあまり財閥型のシステムに偏る危険性があるが、渋沢の合本主義の特徴を応用し、ステークホルダー間の公共性、配分の重視、リスク回避のためのシステム強化などを取り入れることで、より安定した成長へとつなげる可能性があるのではないだろうか。

<受講者の声>
・単に古いモデルを考えるのではなく、そこから次の世代のモデルにふさわしいビジネスを考えようとするときに渋沢モデルがあるという着眼点に、新鮮な発見がありました。(60代、男性)
・考え方に共感した。道理を重視する。組織で多数決を採用しないことはとてもエネルギーのいることだが、夢がある。民間の力を重視することがいいと思った。(30代、男性)
・わかりやすいお話の中で、厚い研究の裏づけが感じられた。(40代、女性)

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【第2回】 渋沢栄一の「論語とそろばん」思想と実践を読み解く 2月18日(火)

講師:田中一弘氏(一橋大学大学院商学研究科教授)

「公益が第一、私利が第二」が渋沢式

商業教育の振興に力を注いだ渋沢栄一が支援した一橋大学で教鞭をとり、経営哲学を専門とする田中一弘氏が、「論語とそろばん」という言葉に象徴される渋沢栄一の思想「道徳経済合一説」について体系的に解説した。

道徳経済合一説は「論語とそろばん」「士魂商才」「義利両全」など様々な言い方をされる。一言でいえば道徳と経済は本質的に一致するという単純なステートメントだが、渋沢の様々な発言を見ていくと非常に深く掘り下げることのできる言葉である。

道徳には「~をしてはいけない」という「消極的道徳」と、志や使命を実現するため前向きな「積極的道徳」の2種類がある。経済にも、富や利益、つまりお金という意味と、その富や利益を生み出す事業活動という意味の2種類がある。これをふまえると、道徳と経済が多岐にわたって一致していることが分かってくるという。

道徳と経済は世間一般には矛盾するもの、本質的に異質なものと考えられ、だからこそ「バランスをとる」ことが必要だと考えられがちである。しかし渋沢は、道徳と経済が天秤の左右に別々に乗せてバランスを取るようなものではなく、1枚の紙の裏表のように一体であると考えていた。そして道徳は経済に不可欠である(道徳=経済説)、経済は道徳に不可欠である(経済=道徳説)という両方向からこのふたつがまさに「合一」だといえると田中氏は説明した。

道徳=経済説における道徳は消極的道徳であり、この説は「不誠実に振る舞うべからず」と、「自己の利益を先にするな」という二つの要素からなっている。円滑な事業活動、永続的な富の獲得には、当然誠実さが必要であると渋沢は説いている。また渋沢がよく引用した論語の言葉「子曰く、仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」に表れているように、他者の利益を先にすることによって、自分も盤石な利益を得ることができる、そしてそれを自然と実行するのが仁者の生き方であるという。消極的道徳は事業活動・利益に不可欠であり、また富や利益を正当化する上でも必要であると渋沢は説いた。こういった渋沢の思想は、企業経営のみならず、教育や福祉等数多くの社会福祉事業に尽力したことにも表れている。

経済=道徳説とは、一言でいえば「博施済衆(博(ひろ)く民に施して衆を済(すく)う)」であり、渋沢が道徳経済合一説を唱道する上で最も強調したのがこの側面である。渋沢は民間を豊かにするのは民間であると考え、公益・国益の為、そして社会全体を富ます手段として、経済活動、合本組織が必要だとした。また博施済衆を実現するためには、自分を犠牲にするのではなく、自分自身も豊かになること、私利を求めることも重要だと考えた。

田中氏はさらに渋沢の思想を18世紀の経済学者アダム・スミス、現在ハーバード・ビジネス・スクール教授であるマイケル・ポーターと比較することで、その特徴を浮き彫りにした。渋沢とスミスの共通点は、人の自利心を肯定的にとらえ、自己利益の追求が社会全体の繁栄に重要な役割を果たすとした点と、その自利心を無制限に容認するのではなく、道徳に制限された自利心を肯定している点である。しかし、スミスの理論では一人ひとりの私益の追求に見えざる手が加わって結果として公益が実現するとして、個々人の公益の追求は期待しなかったのに対し、渋沢は経済人一人ひとりが公益を追求することを期待した。スミスと比較して渋沢は、より積極的道徳を重視していたととらえることができる。

一方ポーターの提示しているCSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)は、企業は社会的課題に取り組むことによって社会的価値を生み出すと同時に経済的価値も生み出すという理論であり、道徳と経済が一致しているという渋沢の考え方に通じている。ただしポーターの理論では、公益の増進が私利の獲得の手段として位置付けられていると田中氏は分析する。渋沢においてはあくまでも公益の追求が第一であり、私利は第二である。スミスがいうところの「見えざる手」を助けるためには、公益を第一におくこと、そしてそれに次いで私利も重視することが重要であり、そこに現代の資本主義が抱える問題へのひとつの示唆があるのではないだろうか。

<受講者の声>
・道徳経済合一の意味が良く理解出来た。論語との関連、スミス、ポーターとの違いがより判りやすく理解出来た。(60代、男性)
・事業活動こそが究極の道徳実現への道ということが良く理解できた。(40代、男性)
・非常に深い内容で、生き方に大きなインパクトのあるセミナーでした。(50代、男性)

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【第3回】 経営者インタビュー(1) 「論語とそろばん」と現代の経営 3月4日(火)

講師:程近智(アクセンチュア株式会社代表取締役社長)
聞き手:守屋淳氏(作家)

グローバルな視点から見る日本の資本主義、そしてこれから

程近智氏はアメリカのスタンフォード大学工学部を卒業し、アクセンチュアの前身である会計事務所アーサーアンダーセンに入社した。当時はアメリカの景気が悪く、日本は逆に経済、技術面でも世界的に存在感を増してきた時代だったため、渡米してから日本のよさに気が付いたという。その後日本に戻り、45歳でアクセンチュアの日本法人の社長となったとき、経済界の諸先輩が中国や様々な国の古典について語り、引用するのを耳にし、『論語』をもう一度学びなおしたいと考えるようになった。やはりアメリカの大学を卒業した渋澤健氏との出会いもあり、渋澤氏が主宰する「論語と算盤経営塾」に参加した。

『論語と算盤』で印象に残っているのは「仁義と富貴」という章の中で、道徳と利益のバランスについてきちんと論理づけてストーリにしていることだと、程氏は話した。程氏は過去30年以上グローバル環境で仕事をしてきたが、株主を第一優先にするウォールストリート型の資本主義では、「ランナーズハイ」のように、もっと利益を上げ続けないといけない状態になってしまう企業をしばしば見てきたという。一方日本の企業は株主だけでなく従業員、サプライヤー、そして社会など、マルチステークホルダーを大切にすることで、『論語と算盤』の中で述べられているような道徳と利益のバランスが、自然と企業文化として成り立っていると感じた。どちらがよいという答えは簡単には出ないが、欧米型だけではなく、日本型の資本主義があると考えた。理想的には、新興国ではこの両方を理解した渋沢栄一のようなリーダーがいて導いていけるとよいのではないか。

前回の田中一弘氏の講義で、マイケル・ポーターのCSVは「利」が先で、渋沢の義利合一は「義」が先だという違いについて説明があったが、これは国際舞台において外国人に理解してもらえるかという守屋氏の質問に対し、程氏は理論的には理解してもらえるかもしれないが、企業行動はなかなか伴わない。企業の長期成長のためにも金儲けだけではなく企業を育てていくべきだというマインドを、投資家に持ってもらうことが必要だろうと答えた。

話題はこれからの日本のあり方を大局的に見た際の課題におよび、程氏は日本の「人材ポートフォリオ」を組み替えるという構想について説明した。日本はこれから人口が減っていき、またグローバル化の中で現在日本で行われている仕事でも海外に流出していく可能性があると指摘し、日本でしかできない地域性のある仕事に高い能力をもってあたる「ローカルプロ」を増やすことが重要だと説いた。また人材を育てるには、高い流動性や国による一貫した教育施策のほか、個人が若い時から自分のキャリアデザインを持ち、マイルストーンを決めて見直していくことが必要だと述べた。

また、日本はこれから、さまざまな社会的課題の解決に国や政府だけでなくNGOなどが担い手となって取り組んでいく「ソーシャルイノベーション国家」になっていくべきである。そしてそのイノベーションは日本人だけではなく、さまざまな国の、さまざまなスキルを持った人々と共に作っていく「メイド・ウィズ・ジャパン」に大きな可能性があると話した。

<受講者の声>
・現役の成功されている企業の経営者の方の生の声を聞くことができた。年齢も自分と同じで、とても刺激を受けた。もっともっと考えなければ、と思った。(50代、男性)
・日本の人材ポートフォリオの内容は、今後の日本の目指すべき方向への意見を伺えて興味深かったです。国、社会、個としての豊かさを目指す為に、個々が動くように強く願う気持ちになりました。(30代、女性)
・考え方の多様性について、非常に参考になりました。(30代、男性)

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【第4回】 経営者インタビュー(2)「論語とそろばん」と現代の経営 3月13日(木)

講師:竹田和平(竹田本社代表取締役)
聞き手:田中一弘

責任なくして信用なし

最終回は「タケダのボーロ」「麦ふぁ~」などのお菓子で有名な竹田製菓の事業家であり、また日本屈指の個人投資家として知られる竹田和平氏にお話をうかがった。経営のみならず、日本の過去と未来を独自の視点から俯瞰し、豊かな社会を築くために一人ひとりがどう生きるべきかというメッセージを伝えた。

竹田氏は「日本の家宝を作りたい」という思いから、日本の歴史上の人物100人を選び、その肖像を掘り込んだ金貨を作った。「明治の巨星」というグループの中に、渋沢栄一も含めた。竹田氏は渋沢が約500もの企業の設立に携わり成功した鍵は、論語の精神をもって事業にあたったことにあり、これは竹田氏が重要と考えている「まろの心」に通じているという。

人の心には「エゴ」と「まろ」があり、人からなんでも奪ってしまい、人に勝つことばかり考えるのがエゴ、反対に与えることを喜ぶ、人の喜びを喜びとするのがまろの心だという。渋沢栄一が活躍した明治の時代は論語や武士道の精神に基づいていたが、国に経済力がつき、軍備が拡張される中でエゴが強くなり、戦争になり経済も破たんした。またバブル経済についても、儲けようという心が競争を激化させ、実態の伴わない土地や株の高騰が起こり、それが暴落することで起こった。バブル崩壊後は国が急激な引き締めをしたために、国や金融機関の信用が失われた。いま、まさにまろに立ち返り、まろとまろがつながった「まろわの世」を築く必要がある、と竹田氏は訴えた。

竹田氏は様々な形でまろわの世を築く活動を実践している。投資家としては、「会社を元気にする株主になる」と決め、多く配当をもらった会社に株主として感謝状を出している。またお金を通じて社会やコミュニティの役に立つ「旦那」になり、また旦那を育成することにも力を入れている。その根底には、日本はこれから文化に投資をしてスポンサーとなる「文化大国」になるべきだという考えがある。また自分で考える力を養うための「問答講」も開いているという。

田中氏は、渋沢栄一と竹田氏の共通点として、責任に対する考え方を挙げた。責任というのは基本的に国や企業や委員会ではなく個人でしか取れないものだという田中氏の指摘に対し、竹田氏も、責任を明らかにするというのが人間の知恵であり、責任を隠して自身の保身に走る機能はエゴであると同調した。渋沢栄一は商売の根本は「信」だとよくいっていたが、竹田氏は信用を得るためには責任を取ることが欠かせないと話した。自分の責任から逃れず、信用を得て、互いに信頼することでまろを高め、つながっていく。その為にはありがとうという言葉とわくわくする心が大切だと聴衆に訴えた。

<受講者の声>
・信用=責任をとる 力強いお話をありがとうございました。(50代、男性)
・実践を通じて悟った言葉は説得力があります。話し手の素晴らしさは、成功した人にありがちな上から目線ではなく、一緒に良くしようという姿勢。(50代、男性)
・徳を強く感じるすばらしいお話でした。経営の中にも徳のある内容でした。(30代、男性)

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