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第1回渋沢国際セミナー

日  程 1999/07/03〜1999/07/05 開催地 小田原/MRAハウスアジアセンター小田原

石井浩(渋沢青淵記念財団竜門社常務担当理事事務局長)「渋沢セミナー」の発足と今後の展望">

1999年7月3日(土)~5日(月)、MRAハウスアジアセンター小田原を主会場に、第一回「渋沢国際セミナー」が開催された。参加者は、日、米、加、韓国、中国、香港、シンガポール、オーストラリア6カ国から国際政治などを専攻する研究者12名に数名の主催者側関係者を加え、主として2つのテーマ(1.渋沢栄一の思想と行動、2.21世紀の世界に果たすべき日本の役割)について、熱心な自由討議が進められた。討議の間には、箱根への小旅行や温泉体験などのエンターテイメントも行われ、それまで互いにほとんど顔をあわすことのなかった参加者が、胸襟を開いて意見を述べ合う打ち解けた雰囲気が芽生えた。討議に先立ち、飛鳥山の渋沢史料館を見学し、渋沢雅英理事長から渋沢栄一の事業など又最後の30年の活動についてのレクチャーを聞いた。討議終了後は、場所を国際文化会館に移し、一般公開のセミナー報告会を開き、併せて簡単なレセプションを開催した。

第一回セミナーで討議された諸問題

第一回では、さまざまな意見や問題意識が展開されたが、それらを要約すると、次のようなことになろう。
第一セッション(渋沢栄一の思想と行動)では、主として経済社会との関わりから渋沢について討議した。そこでの主なテーマは、1.日本の企業家精神はどんな形をとるべきか、公的扶助 に関する企業家精神の貢献についてどう考えるべきか、渋沢栄一は、より広い公的利益に奉仕するために資本家の熱意が意識的に形成されるべきだとしていたが、こうした洞察は、資本主義のグローバル化が進む現代という時代には、危殆に瀕している。2.制度改革―伝統的官僚組織に対抗し透明性を深めるというテーマは、幕藩体制の意思決定に反抗しあるいは維新後教育機関の改革を図った渋沢の行動の結論的記述として重要である。彼は、既存の権力構造に基づくのではなく公的利益に基づく判断基準を、教育を通じてより広く民衆に開かれた判断決定法を求めた。日本の政治機構における透明性の欠如は、 海外から見た日本の消極的イメージだが、閉鎖的機構に対する民衆の反抗は、通常考えられる以上に各所にみられるのである。③渋沢のリーダーシップは、明らかに政治的なものではない。リーダーのありようは時代により異なるが、これからの時代、日本がどのようなリーダーを育てるべきか、今後の討議の大きなテーマとなろう。

第二セッション(21世紀の世界に果たすべき日本の役割)では、渋沢の「官尊民卑」に対する強い抵抗心と、日本に対するイメージが強すぎることが論議され、「官」から発生したこのイメージを更正する契機を、渋沢の行動に求めるように議論は進んだ。1.21世紀における日本の役割―経済大国としての役割、環境保全についての役割、民政大国としての役割、地域社会や世界統治の規範づくり、アジア太平洋における共同体建設、国際組織を通してのルール作りなどについて、日本から提案することが望ましい。2.日本に期待される役割に対する制約―第二次世界大戦の遺産でもある「歴史問題」の存在、日本に付きまとう米国の影、日米安保問題、中国との困難な問題の存在(これを放置しておいては、アジアにおいての日本の役割は果たせない)、アジアから見た日本の独自性、東と西の間に立つ日本、地域に存在する「大国」としての日本のイメージと平和憲法を背景とした「禁欲的政策」のギャップ、日本が「軍事大国」になれないことからの制約等がある。では、どうすれば日本はその役割を果たせるか。そのためには、アジアとの和解、NGO、NPO等民間レベル-市民社会レベルでの交流が基本的に欠けていると自己反省が外に伝わらない。日本国外との情報交換ネットワークが構築できていない。日本の政治安全保障は多国間の枠組みによるべき、東アジアの経済統合への日本の積極的対応、日本人自身におけるコンセンサスの欠如の解決等が必要である。

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