研究センターだより

30 「合本主義」研究プロジェクトについて(1)

『青淵』No.759 2012(平成24)年6月号

「合本主義」研究プロジェクトについて(1)

2011年4月から開始しました「合本主義」研究プロジェクトについて2回にわたって、ご紹介します。まず今回は、渋沢栄一の合本主義の内容についてです。

渋沢栄一は、一般に「近代日本資本主義の父」と呼ばれますが、渋沢自身は、自らの思想や行動について語るとき、資本主義という言葉を用いていません。合本法、合本組織をいう用語を使い、事業を進める最適の方法と考えました。そもそも「合本(がっぽん)」とは、2冊以上の本を合わせて1冊の本にすることを指します。従来ヨーロッパで栄一が学んだという「合本主義」の内容は、株式会社とほぼ同じとされてきましたが、どうも違うようです。また渋沢はその内容について明らかにしていません。また合本という言葉を渋沢がどこから持ってきたのかも不明です。

渋沢の論考や講演を基にして考えると、「合本主義」とは、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」を意味するといえます。つぎに470もの企業の設立にかかわり、約600といわれるフィランソロピー(慈善活動)団体の設立や経営に関与した渋沢の思想や事績を通じて、「合本主義」の内容を考えていきます。

それではなぜ渋沢栄一は合本主義を重視したのでしょうか。まず、渋沢栄一の生涯の目標であった官尊民卑の打破には、「合本主義」の導入が不可欠と考えたからです。渋沢によれば、1867年にヨーロッパ各地を巡遊したときに、「事業が合本組織で非常に発展していることと、官民の接触する様子がとても親密であることに驚き、合本組織で商工業が発達すれば自然商工業者の地位が上がって、官民の間が接近してくるであろうと考えた」と述べています。

青年時代、父の名代で、岡谷藩代官所で、役人の居丈高な態度や考え方に憤り、官尊民卑の打破を生涯の目標に決めました。能力もないのに権威を振りかざす役人は許せないが、一方、唯々諾々と「官」やお上には逆らわず、ただ自分の利益を上げるために商売をしている商人階級に対しても大きな不満を持ちました。尾高惇忠(あつただ)の水戸学や社会改革の思想の影響を強く受けた渋沢は、日本社会を、ヨーロッパのような工業化を中心とする近代社会にするためには、国民自身が、国家社会を変化させるのは「民」だ、という意識を持たすことが不可欠であると考えました。そのために人々の才能や知見を十分に発揮できる仕組みを導入しなければならないと考え、それを合本法や合本組織に見出したと思われます。

通常、合本主義は株式会社とほぼ同じと理解されています。株式会社とは、『広辞苑』によれば、「起業・会社の新設・拡張に際して、必要な資金を株式の発行引き受けまたは買取発行の方法によって供給する」いわゆる株式金融を基に営業活動を行なう会社です。また同社株を保有する株主で組織され有限責任です。しかし渋沢の唱えた「合本組織」は、現在の資本主義社会での株式会社や株主の行動とはかなり違う面がみられます。まず渋沢が設立に関与した会社は、株式会社だけではなく、匿名会社、合資会社も含まれています。それは渋沢の合本主義が、3つの要素、つまりア)使命(ミッション)イ)人材とそのネットワーク、ウ)資本から成り立っているからです。

ア)設立目的・使命(ミッション)

渋沢にとって、合本組織の使命は、国家社会全体の利益、すなわち公益を増加させることでした。株主や経営者は、会社設立の目的や使命を十分に理解したうえで、投資したり経営することが不可欠となります。従って、組織形態は必ずしも株式会社でなくてもよく、会社の目的を達成するために適した組織であればよかったのです。

イ)人材とそのネットワーク

次に渋沢が重視したのは、会社経営や事業活動に従事する人材です。特に経営者は、会社の使命や目的をよく理解し、公益を追求する人でなければなりませんでした。岩崎弥太郎との有名な論争でも明らかなように、渋沢は、事業経営により利益を上げることは重要だが、投資家すべてにその利益が行き渡ることが肝心で、事業や利益を独占し、財閥の形成を目的にすることには断固として反対しました。

その意味では、経営にあたる人材には、事業を適切に進めてゆく実行力だけでなく、広くパートナーを求め、協力することのできる視野の広さと協調性、それを支える人的ネットワークを有する能力を期待したのです。渋沢自らが、東京高等商業(のちの一橋大学)等の教育機関の設立と経営に深くかかわったのは、彼の望んだ人材とそのネットワークを形成するためでした。

ウ)資本

事業を興し、展開するためには元手となる潤沢な資本が必要です。渋沢栄一は、日本国内の遊休資本を有効に利用するために銀行制度を導入し、第一国立銀行を皮切りに全国に民間銀行を設立しました。これは、士農工商という身分制度を超えて、資本を広く集めることができるためでした。渋沢の作成した銀行の広告文はその趣旨を次のように見事に語っています。

「そもそも銀行は大きな川のようなものだ。役に立つことは限りがない。しかしまだ銀行に集まってこないうちの金は、溝にたまっている水や、ぽたぽた垂れているシズクと変わりがない。時には豪商豪農の蔵の中に隠れていたり、日雇い人夫やお婆さんの懐(ふところ)にひそんでいたりする。それでは人の役に立ち、国を富ませる働きは現わさない。水に流れる力があっても、土手や岡に妨げられていては、すこしも進むことはできない。ところが銀行を立て上手にその流れ道を開くと、倉や懐にあった金がより集まり、大変大きな資金となるから、そのおかげで、貿易も繁昌するし、産物もふえるし、工業も発達するし、学問も進歩するし、道路も改良されるし、すべての国の状態が生まれ変わったようになる。」

公益につながるものに、金を融通し新しいものを創造する、すなわち「無形の金」から「有形の富み」を創り、それがうまく機能するように資金を援助する。これが銀行の役目であり、合本組織の代表的存在でした。

以上からわかるように、渋沢栄一の「合本主義」は、公益を追求するという目的意識を持つ株式会社よりも、より強い規範を伴うものでした。つまり『論語と算盤』(道徳と経済の一致)という思想的基盤の上に成り立つ考え方であったといえます。

(研究部長・木村昌人)


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