史料館だより

46 2012年秋 渋沢史料館企画展 「渋沢栄一再発見!〜渋沢史料館のあゆみと名品〜」

『青淵』No.763 2012(平成24年)10月号


渋沢史料館 旧第2展示室

 渋沢史料館は、1982年11月11日に登録博物館として認可を受け、本年開館から30年を迎えます。
 当館は、東京都北区・飛鳥山公園内旧渋沢庭園の青淵文庫、晩香廬を中心施設として開館し、以来渋沢栄一の思想と活動を、栄一に関する文書、遺墨、遺品、図書、写真などの様々な資料とともに伝え続けています。
 開館後は、栄一がメディアで紹介される機会も増え、また当館への来館者やレファレンス対応等も増加していきました。1998年3月には現在の新館がオープン。その後も、栄一を様々な切り口から紹介しようと企画展、教育普及事業、そして活動の基本となる資料保存と調査研究に力を入れてきました。
 開館30周年を迎える本年秋、改めて当館のあゆみを振り返り、さらに活動の基盤となる収蔵資料を紹介する企画展「渋沢栄一再発見!〜渋沢史料館のあゆみと名品〜」を11月25日まで開催しています。
 「渋沢栄一再発見!」とは、当館の設立母体である公益財団法人渋沢栄一記念財団の渋沢雅英理事長の発案です。栄一の生き方、考え方、行動など栄一への興味関心の高まりを感じ、再び栄一をしっかり紹介すべき時だという渋沢理事長の思いを、当館開館30年という節目の企画展メインタイトルとしました。今回は、展示の見どころをご紹介します。
 本企画展は、大きく分けて2つの内容で構成されています。まず「第1部」では、当館のあゆみを開館以前から現在までを3期に分類し、開館経緯から現在に至るまでを紹介します。
 ここでは1982年の開館当時の関係書類をはじめ、オープニングセレモニーや、当時の館内を記録した写真、さらに1998年に新館がオープンした際の建築模型、開館から30年の間に行ってきた企画展や当館の活動を記録した写真、過去の企画展図録などを展示します。
 さらに「第1部」では、当館開館の基となっている、当財団が行った「2つの事業成果」にも焦点をあてます。
 その1つが、『渋沢栄一伝記資料』の編纂と刊行です。当財団は栄一の没後、正確で詳細な栄一の伝記を編纂する計画をたて、1955年に第1巻を刊行、その後、本巻58巻、別巻10巻の計68巻としてまとめられました。今回の展示では改めて膨大な資料から編纂された、『伝記資料』の現物を展示し、来館された方に実際に手に取っていただき、ご覧いただけるようにします。
 また、当館の核となる資料『伝記資料』は、現在当財団の実業史研究情報センターの事業によってデジタル化が進められていることから、現在準備中の様子をご紹介します。
 もう1つは、『伝記資料』同様栄一の嫡孫・敬三が提唱した「日本実業史博物館」構想です。これは、栄一の遺徳顕彰と、さらに栄一が生きた時代の「経済展観」等を目的とする博物館で、現在の当館とほぼ同じ場所に建設を予定しましたが、第二次大戦の戦況悪化、敗戦により実現には至りませんでした。当館はこの構想の一部である「栄一の遺徳顕彰」を受け継いで活動していることから「日本実業史博物館」設立に関する資料を展示し、当館のルーツを知っていただきたいと考えています。
 「第2部」では、当館の企画展示室および常設展示室を活用し、栄一にまつわる「名品」を展示します。
 栄一は、古美術を収集する趣味もなければ、興味関心もなかったことから「お宝」を彷彿させる「名品」という言葉については、妥当かどうか内部でも議論を重ねました。
 その結果、当館にとって収蔵品は、栄一を伝える資料として全て「名品」であり、全てが「お宝」であるとの考えで一致しました。
 展示品は、栄一愛用の中山帽、ステッキ、懐中時計などの品や、考えがあらわされた書、栄一が尊敬し続けた徳川慶喜の書、渋沢家に実際に掛けられていた明治期の日本画家・橋本雅邦の軸など、形状、素材、大きさの異なる、多彩かつこれまであまり展示できなかった資料などです。
 また、常設展示室内にもたくさんの「名品」があることから、数点の資料をピックアップし、改めてその展示品と栄一との関係にも注目をしていただこうと思います。
 ピックアップにあたっては、「栄一が尊敬をしていた人は誰ですか?」、「栄一はどんな人と交流していたのですか?」、「栄一がかかわった会社との関係を詳しく知りたい」、「栄一の愛用品を見たい」など、当館の活動の中で、来館者から寄せられたリクエストも参考にしました。
 この企画展が、単なる回顧でなく、当館の将来に期待を寄せていただくと同時に改めて渋沢栄一を「発見!」する機会となればと思っています。
 会期中には連続講演会など関連イベントも開催しますので、ぜひ多くの皆様のご来館をお待ちしております。

(学芸員 川上 恵)


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