史料館だより

33 渡米実業団の若手メンバー

『青淵』No.724 2009(平成21)年7月号

 本年は、渡米実業団がアメリカを視察して、ちょうど100周年を迎えた記念の年です。
渡米実業団は、渋沢栄一を団長として総勢51名で組織され、東京商業会議所会頭・中野武営、大阪商業会議所会頭・土居通夫、京都商業会議所会頭・西村治兵衛、横浜商業会議所会頭・大谷嘉兵衛、神戸商業会議所会頭・松方幸次郎、名古屋商業会議所副会頭・上遠野富之助など、当時における実業界の「大御所」が団員として参加しています。
 さらに団員の中には、次世代で活躍する比較的年齢の若い世代も参加していました。今回はその中から、これまであまり紹介されることが無かったメンバーをご紹介いたします。

 

<加藤辰弥>24歳
 東京高等商業学校在学中、東京商業会議所外事課に勤務していました。参加後の1911年には、渋沢栄一の推薦で第二次西園寺内閣の首相秘書官となり、その後は実業界でも活動しました。

<名取和作>36歳
 1987年に古河鉱業所に入り、99年に慶応義塾留学生として米国に留学した後、慶応義塾教授となりました。参加後は、日本絹布常務、富士電機製造社長に就任し、また時事新報社取締役、鐘紡取締役、三越常務などを務めました。

<村田省蔵>31歳
 東京高等商業学校卒業後、大阪商船会社に入社。参加後は米国在勤となり、同社台湾課長、遠洋課長などを経て、1934年には社長に就任しました。その後は貴族院議員となり、第二次近衛内閣に逓信相兼鉄道相として入閣しました。

<岩本栄之助>31歳
 大阪の商家に生まれ、1906年に家督と営業を相続した後、株式仲買人として活動しました。渡米実業団参加でアメリカの社会事業について学び、1911年に大阪市中央公会堂の建築費として、100万円を寄付しました。

<伊藤守松>30歳
 伊藤家は江戸時代より名古屋で呉服太物・小間物商を営みました。渡米実業団に参加中、アメリカの百貨店事業を研究し、帰国後は呉服店組織を改めて株式会社組織の「いとう呉服店」を創立。1910年には名古屋・栄町にデパートメントストア(後の松坂屋)を開店し、発展の基礎を築きました。

<高梨タカ子>23歳
 渋沢栄一の姪にあたり、日本女子大学校在学中に随行を志願して渡米実業団に参加しました。参加後は社会学者として活動し、同大教授となり、また哲学者の田中王堂と結婚しました。1933年には東京市結婚相談所を創設し、初代所長を務めました。

 以上のように、渡米実業団の中には、当時はまだ若いながらも、参加後に渡米の経験を活かし、実業界をはじめ、様々な分野で活躍した団員が多くいたのです。
 渋沢史料館では、本年8月15日から9月23日まで、テーマ展シリーズ゛平和を考える″〈渡米実業団100周年記念〉「渋沢栄一、アメリカへ〜100年前の民間経済外交〜」を開催いたします。展示では、渡米実業団参加メンバーにまつわる資料もご紹介する予定です。皆様のご来館をお待ち申し上げております。

(学芸員 関根 仁)

※掲載資料は全て渋沢史料館所蔵「田辺淳吉旧蔵アルバム」より、視察中の様子。


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