史料館だより

この夏、「平和」を考えてみませんか?

『青淵』No.302 2008年(平成20)7月号

-渋沢栄一と「青い目の人形」展開催にあたって-

 1927年、アメリカから、日米の親善を願って約12,000体の可愛い人形が、太平洋を越えて日本に贈られたことを知っていましたか?その目的は、排日移民問題が過熱する日本とアメリカの児童たちの間に、友情交流を結ぶことでした。この人形交流を両国に呼びかけたのが、アメリカの宣教師シドニー・ルイス・ギューリック、そして日本側で人形の受け入れに尽力したのは、渋沢栄一でした。日本では、当時流行していた童謡の効果もあり、「青い目の人形」と呼ばれ人々に親しまれました。

 ギューリックは、1888年に来日してから20年間、大阪、松山、京都で布教や教育に携わった親日家でした。 ギューリックは、日本には古来から五月人形や雛祭りといった人形文化が根付いていることに注目し、「good-will between America and Japan.(日米間に親善)」を築くために、世界児童親善会を立ち上げ、「doll project(人形計画)」を行うユニークな日米交流の提案を記した手紙を渋沢に送ります。渋沢も、この人形計画に共感を覚え、日本国際児童親善会を設立して、外務省や文部省にも協力を依頼し計画を実行します。

 さて、アメリカから日本に送られた「青い目の人形」とはどのような人形だったのでしょうか?日本国際児童親善会が作成した『可愛いお人形が親善のお使』によると、「背丈は一尺五寸、手足は動くようにつなぎ、目は睫をつけて動くようにし、髪は縫いつけ、胴には綿をつめ、それから、ママーと声を出す仕掛けで、」さらに「洗濯のきく美しい服を着た」とあります。また人形は、アメリカの公私立学校の生徒や、ガールスカウトなどの児童たちが中心となり、親善の手紙を用意し、日本へ赴くための乗船切符と旅券を人形一体一体に準備しました。

 1927年、人形たちは12隻の船に分かれ、横浜と神戸に到着しました。人形到着後、渋沢は人形とともに取材を受け、各地をまわり大きな反響を肌で感じます。そして、3月3日の雛祭りに、明治神宮外苑の日本青年館では、渋沢はもちろん、皇族、外務省や文部省の役人、そして日米の児童代表が集まり、歓迎式が盛大に行われました。渋沢は、その時の感激を、ギューリックに「児童ト共ニ感慨無量」と電報を送ります。まさに、渋沢とギューリック博士が込めた日米関係改善の思いが成功した瞬間でした。

 しかし、1941年、戦争により日米の関係は悪化し、日本では多くの人形が処分されます。81年が経ち、全国で現存が確認されている人形は約300体だけになりました。
 今回、当館では、渋沢栄一たちが願った「世界平和」の思いを多くの方に知っていただきたいとテーマ展『シリーズ"平和を考える"渋沢栄一と「青い目の人形」-81年前の"The Doll Project"-』を7月19日から8月24日まで開催することにいたしました。

 このテーマ展では東京で現存が判明している10体のうち8体の「青い目の人形」を展示し、人形本体はもちろん、パスポートやバッグ、着替え、さらにアメリカの児童たちが日本の児童たちに宛てた手紙などもあわせてご覧いただけます。

 その他、期間中には、「青い目の人形」にまつわる映画の上映や児童書の読み聞かせ、レクチャーなども行います。今年の夏、当館で平和を考えてみませんか?皆様のご来館を心よりお待ちしております。

(学芸員 川上 恵)

青い目の人形を抱く渋沢栄一
■「青い目の人形を抱く渋沢栄一」
(当館蔵)

 渋沢栄一自身も養育院などで、児童教育に力を入れていたことから、シドニー・ルイス・ギューリックの提案した「doll project(人形計画)」に共感を覚え、日本国際児童親善会を設立しました。
 渋沢は児童とともに、「青い目の人形」を連れて各地をまわり、大きな反響を呼びました。

「キンダーブック お人形の巻」フレーベル館刊
■「キンダーブック お人形の巻」フレーベル館刊
1929年(個人蔵)

「ミス アメリカ」絵葉書
■「ミスアメリカ」絵葉書
(当館蔵)

 約12000体の「青い目の人形」の中には、「ミス アメリカ」、「ワシントンDC」の2体、そしてアメリカの48州からの人形とあわせて50体の代表人形がいました。人形の左に見えるのは、「ミス アメリカ」が所持していたパスポートです。ニューヨーク生まれで、金髪、青い瞳、ふっくらとした鼻、小さな口と記されています。

(館長 井上 潤)


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