2016年2月17日 更新
個々の企業のたどった歴史は、社会の日々の営みと密接に結びついています。企業の歩みを支えてきた史料は、そもそも企業は社会的な存在であるゆえに、たとえ私的な企業のものであっても歴史的な価値を持っている、といえましょう。経済や社会や文化を研究する手がかりをつくることを目的とし、個々の企業の歴史を表す史料がどこにどんな形でどの程度残されているかについて概要を調査し、2008年7月にディレクトリを一般公開しました。
企業史料には次のような価値と意義があるでしょう。
(1) 企業のための歴史・経営資源
第1に、日本の企業にとって企業史料は社史・年史編纂の上で欠かすことのできない典拠史料であり、歴史資源であります。企業は経営者・社員教育のため、資料・情報の整理・保存のため、そして企業のPR活動・イメージづくりを目的として社史・年史編纂に取り組みます(参考:村橋勝子『社史の研究』ダイヤモンド社、2002年、p.3-7)。社史・年史を作るうえで最も重要な資料・典拠となるもの、それが企業史料にほかなりません。
第2に、企業史料は企業経営を行ううえで欠かすことのできない経営資源です。現在イギリスのビジネス・アーカイブズ・カウンシル(Business Archives Council)では「隠れた財産キャンペーン(Hidden Assets Campaign)」を行っています。これによりますと、企業史料は(a)企業統治の情報開示と内部統制、(b)企業の社会的責任(CSR)、(c)企業ブランドの形成のため、(d)企業活動の証拠、(e)懐古的な商品開発、(f)社員教育の教材といった観点から企業の隠れた財産であるとされています。
(2) 国民的遺産として
日本経済を構成する各企業が集積してきた企業史料は、日本社会と日本経済の歩みを記す国民的遺産(national heritage)であるといえます。企業史料は、日本の富国と殖産興業、そして近代化の過程を記録した貴重な遺産であり、将来への歩みを照らし、広い意味での文化資源なのです。
企業史料ディレクトリには次のような意義があります。
(1) 企業史料の所在と概要の公開が企業の信頼性を高める
企業史料の所在と概要を公開することは、積み重ねと足跡を大切にする企業の姿勢を明らかにして、その企業に対する社会的信頼性を高めることに寄与するでしょう。
(2) 企業史料の所在と概要を広報し、歴史への貢献を証しする
近代日本の富国と殖産興業を担った民間企業の歴史は、通常社史・年史として刊行されます。しかしながら社史・年史類の多くは非売品であり、多くの人の目に入るわけではありません。企業史料の所在・概要は、企業史料ディレクトリによって広く一般に広報することができます。個々の企業が日本経済へ寄与してきた歴史の証しはディレクトリとして凝縮されます。
(3) 企業史料への一般の理解と関心を高めることに資する
1981年(昭和56年)11月4日の企業史料協議会設立総会において花村仁八郎・経団連副会長は「企業の発展を跡づける歴史資料をきちんとした形で保存するということは、次の世代に文化を引継ぐという意味でも、諸外国にわが国企業の姿を正しく見てもらうためにも大変重要ですが、残念なことに欧米先進諸国に比べ、歴史資料の保存策は立ち遅れています」と述べられました。その後、企業史料協議会の活動等によって、歴史資料保存の立ち遅れ状況は徐々に改善されつつあると思われます。企業史料ディレクトリの公開は、企業史料に対する一般の理解と関心をなお一層高めることに資するでしょう。
(4) 経営史・日本史研究者等の国内外専門家に有益
企業史料ディレクトリの公開によってもっとも恩恵を受けるのは、経営史・日本史等の研究者であるかもしれません。近代日本の発展の軌跡と要因を実証的に明らかにしようという専門家にとっては、企業史料の所在と概要のみの情報であっても、それは貴重な情報であります。企業史料ディレクトリは経営史・経済史のみならず、社会における企業の歴史を専攻する国内外の研究者に便益を与えるものであります。
(5) 渋沢栄一「道徳経済合一説」の現代的実践
企業史料ディレクトリのトップページをご覧下さい。
企業史料ディレクトリの作成にあたって、企業史料に関する内外のプロジェクト情報の調査・研究も行っております。次にあげるプロジェクトは史料情報レファレンスとして特に注目するものです。
(1) 『近現代日本人物史料情報辞典』伊藤隆・季武嘉也編、吉川弘文館、2004-2011年(全4巻)
本書は企業史料ではなく、個人に関する史料情報をまとめた辞典です。個人の生涯にわたる活動の結果残された史料の所在と概要、公開・非公開の別、その人物自身による自伝や著作、その人物についての伝記・評論・研究など、人物やその人物の事績を理解するうえで有用な刊行物に関する情報を記述しています。「個人」と「企業」の違いはあるものの、企業ごとの史料の所在と概要をまとめるという私どものプロジェクトと本書の構成は重なる部分が多いといえます。なお本書は、政策大学大学院伊藤隆教授らが科学研究費補助金の助成を受けて進めてきたプロジェクトをまとめたものです。
(2) 海外の類例
私どもが構想する企業史料プロジェクトと類似の事業として次のようなものがあげられます。
(a) アメリカ・アーキビスト協会ビジネス・アーカイブズ部会によるDirectory of Corporate Archives in the United States and Canada
アメリカアーキビスト協会(Society of American Archivists)のビジネス・アーカイブズ部会は、1997年以来 Directory of Corporate Archives in the United States and Canada を編集、ウェブ上で公開しています。2004年末現在収録された北米の団体アーカイブズ数は約310ヵ所です。収録されている項目は「社名」「所在地」「ウェブアドレス」「連絡先(人名、電話番号、ファックス番号、メールアドレス)」「業種」「業務時間」「利用条件」「所蔵史料の作成年代」「所蔵史料の量」「概要の説明」です。
(b) イギリス公文書館によるナショナル・レジスター・オブ・アーカイブズ
もうひとつの事例は、イギリス公文書館(The National Archives)が管理・運営しているナショナル・レジスター・オブ・アーカイブズ(National Register of Archives)です。イギリス公文書館は公文書の収集・保存・管理のみならず、民間の史料の概要と所在に関する情報提供サービスを行っています。民間史料の概要と所在に関する情報は、個人によるものが46,000、家族9,000、企業29,000、団体75,000です。名称、業種、住所等から検索することができます。
情報資源センターの前身である実業史研究情報センターでは、企業史料ディレクトリの作成を始めるにあたり、2004年末から2005年にかけてまず先行事例の調査を行いました(参考:『渋沢栄一記念財団の挑戦』不二出版、2015年、p.82-83)。2006年4月23日には、プロジェクト担当者である松崎裕子が、日本アーカイブズ学会「2006年度大会」で初期段階における調査の成果を発表しました。現在その概要は日本アーカイブズ学会のウェブサイトで見ることができます。
また、当日の配付資料には、企業史料と情報共有に関する国内外の事例や官・民の取り組み、主要な参考文献などが簡潔な形でまとめられています。