情報資源センターだより

55 社会公共事業団体名の変遷図をウェブサイトで公開

『青淵』No.821 2017年8月号|情報資源センター 専門司書 門倉百合子

 渋沢栄一は生涯に500の会社、600の社会公共事業に関わったといわれています。500の会社についてはどのような会社があったか、それが今にどうつながっているのか、社名の変遷が一目でわかる変遷図にし、財団のウェブサイトから公開しています。一方で社会公共事業については、その範囲が幅広いこともあり変遷調査が進まずにおりました。しかし栄一の事績を考えるとき、社会公共事業への目配りは必須ですので、この度その変遷をまとめた図を公開することにいたしました。

 『渋沢栄一伝記資料』に収録された栄一の事績は、青年期と身辺の事柄を除き「実業・経済」と「社会公共事業」に分けられています。この「社会公共事業」に掲載された800余の事績には、「外賓接待」「外遊」「銅像」など団体ではないものがありますのでそれらは除き、団体と考えられるもの約600から栄一が深く関わったものを中心に83団体、全体の約15%を抽出して変遷を調査しました。そして本年3月頃までの変遷データをまとめて24図を作成しました。従来「渋沢栄一関連会社社名変遷図」としていたウェブサイトを、「渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図」と改称し、社会公共事業団体の変遷図も組み入れてこの8月に公開する運びとなりました。

南湖神社参道入口、右は楽翁公像
南湖神社参道入口、右は楽翁公像

 「社名変遷図」を作るときは各社の出した社史を調べましたので、社会公共事業団体の出した団体史を調べることにいたしました。社史と違って団体史にはまとまった目録がありませんでしたが、財団の蔵書をみると、今回公開予定団体の団体史をほとんど所蔵していることに改めて気づかされました。その中には全6巻に及ぶ『東京百年史』(東京都、1972-1973)など自治体が編纂した大部なものから、『社会福祉法人愛の家五十年史』(愛の家、1974)のように一つの社会福祉法人が自機関の歴史をまとめた21頁の小冊子まで、実に様々なものがあります。所蔵していないものについては近隣の公共図書館、大学図書館でほとんど閲覧することができましたが、唯一調査が難しかったのは、南湖神社の資料でした。

 福島県白河市にある南湖神社は、楽翁公こと白河藩主松平定信(1758-1829)を祭神として1920(大正9)年に創立許可された神社です。定信は江戸中期に老中として寛政の改革を進めたことで知られています。定信の実施した社会事業を範としていた渋沢栄一は、定信の創設した江戸町会所の七分積金を明治期に引き継いだ東京会議所で、様々な事業に取り組みました。その縁があって南湖神社創建に際して栄一は、建設を企画した楽翁公奉祀表徳会の総裁、南湖神社の命名、南湖神社奉賛会の総裁などの役割を担っています。また実際に神社祭式に参列し、扁額なども寄進しました。その南湖神社の資料が『伝記資料』記載のもの以外には当財団にありませんでしたので、この4月に福島へ足を運んで南湖神社にお参りし、その由来のわかる資料をご寄贈いただきました。ちょうど境内の桜が満開の時期で、隣接する風光明媚な南湖の景色も堪能することができました。

御神木の枝垂桜「楽翁桜」
御神木の枝垂桜「楽翁桜」

 今回公開する変遷図の中には、この南湖神社とともに、東京会議所の変遷図もあります。1872(明治5)年設立の東京会議所では、養育院、瓦斯事業、商法講習所、墓地事業、道路修築事業など様々な事業を進めていました。当時明治政府に出仕していた栄一は、会議所共有金取締、商法講習所経営委員、会頭兼行務科頭取、養育院並瓦斯場事務長などの役目を負っています。その後東京会議所は1876(明治9)年に解散し、事業は東京府に引き継がれました。そして養育院事業は現在東京都に、瓦斯事業は東京瓦斯株式会社に、商法講習所は一橋大学にそれぞれ継承されています。栄一はそれらの事業にも引き続き関わりがあり、こうした変遷も盛り込んだ図を作成いたしました。(東京会議所の変遷は従来、東京商工会議所の変遷を記した「経済団体A」の図に含めていましたが、今回「行政」の図として独立させたものです。)

 今回とりあげた社会公共事業は、『渋沢栄一伝記資料』の目次項目では「社会事業」「労資協調及び融和事業」「国際親善」「道徳・宗教」「教育」「学術及び其の他の文化事業」「政治・行政」と多岐にわたっています。公開する変遷図は栄一の関わったものの一部ではありますが、栄一の事績全体を俯瞰する一助となれば幸いです。

渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/


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