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資生堂のアーカイブズ:サステナビリティとトップ・マネジメント・チェンジ

資生堂のアーカイブズ:サステナビリティとトップ・マネジメント・チェンジ

公益財団法人渋沢栄一記念財団 情報資源センター 松崎裕子
2016年5月14日発行
[PDF版 (366.3KB) / English version]


<目次>

はじめに
資生堂
創業120周年記念
資生堂のアーカイブズの活用方法
新しい経営者と資生堂企業資料館
おわりに
[注]


 本稿は2016年4月に米国アトランタで開催されたICA/SBA(国際アーカイブズ評議会 ビジネス・アーカイブズ部会)主催ビジネス・アーカイブズ国際シンポジウム「サステナビリティ」での発表原稿(原文は英文)を基に作成しました。ここに掲載されている内容は英文原稿執筆時点の情報に基づいています。


 このプレゼンテーションは資生堂企業文化部のみなさんのご協力とサポート、とりわけ資生堂企業資料館館長石井光学氏、前館長磯田篤氏のご協力によって可能となりました。私はこの方々のサポートに多くを負っていますが、本プレゼンテーションにおける意見は私個人のものであり、いかなる意味においても資生堂の見解を表すものではありません。

* * *

はじめに

 企業が会社の方針や方向を変えるために、経営トップの交代を選択する時、会社全体に波紋が広がるのがはっきりと感じられるものです。新しい経営陣が企業内アーカイブズの役割を理解せず、あるいは重要視しない場合、アーカイブズの業務範囲や予算が削減されるかもしれないし、もしかしたら完全に廃止されるかもしれません。本日のこのプレゼンテーションでは、日本の会社の企業内アーカイブズの事例を取り上げて、経営交代をどのようにくぐり抜けてきたのかについてお話したいと思います。


資生堂

 資生堂の創業は1872年、創業者・福原有信が東京・銀座に日本初の洋風調剤薬局をオープンしたときにさかのぼります。1897年には高等化粧水「オイデルミン」を開発・発売して化粧品業界に進出しました。1927年からは株式会社資生堂となり、「美と健康の追求」「美しい生活文化の創造」というふたつの企業使命を掲げて、事業を拡大し、現在世界約120カ国で事業を行っています。2015年12月現在のグループ会社数97社、資本金645億円、総資産8,085億円、従業員数約46,000名(連結)です。

 現在の日本国内事業は、さまざまな価格帯の化粧品の製造・販売事業を中心に、Eコマースのデジタル事業や、美容食品、医薬品といったヘルスケア事業を展開するほか、美容師やビューティーコンサルタントなど美容業界における人材教育や、美容医療事業にも関わっています。

 主要な化粧品ブランドはSHISEIDO、clé de peau BEAUTÉ、BENEFIQUE、bareMinerals、NARS、フレグランス・ブランドにELIE SAAB、ISSEY MIYAKE、narciso rodriguez、Serge Lutensがあります。

図 1 - 花椿ロゴの変遷

花椿ロゴの変遷

創業120周年記念

 1990年に企業文化部が設置されました。これは当時のトップ・マネジメント(創業家出身の福原義春氏)が「企業文化」を経営資産と位置づけ、これを重視し、企業文化の継承のためには会社の記録をアーカイブして管理するための部署が必要であると考えたからです。

 新たに設置された企業文化部は、資生堂ギャラリーや資生堂アートハウスといった、すでに存在していた企業内文化施設の管理運営、企業文化誌「花椿」の発行などを担当することになりました。

 創業120周年の記念事業として1992年4月にオープンした資生堂企業資料館の運営も企業文化部の重要な事業です。東京から新幹線で約2時間の距離にある静岡県・掛川市に設置された資生堂企業資料館は、資生堂アートハウスに隣接し、無料で一般公開しており、入館数は年間約30,000人です。2フロア560m2の展示スペースには、日、英、仏、韓、中国語の5カ国語の音声ガイドが用意されています。1階では資生堂の創業から現在までの歩みを紹介する常設展示に加えて、創業から100年目までの商品を展示するとともに、企画展示用スペースと、過去のテレビCMの上映コーナーも設けています。2階では創業から現在までの広告やポスターの変遷に加えて、101年目以降の商品を展示するほか、現在の資生堂のCSR活動や生産技術を紹介する展示も行っています。企業資料館は一般公開の展示を通して資生堂への関心を高め、資生堂ファンを増やすこともその目的としています。

資生堂のアーカイブズ活用法

 資生堂企業資料館では、展示に加えて、会社の記録と、資生堂の歴史とそれに関連する情報を収蔵管理しています。また、展示物を含めて、約20万点の資料コレクションの管理も行っており。これらのアーカイブズ資料は社内外で活用されています。社内での利用には次のような例があります。

・イノベーションに役に立つ資料の提供
・新ブランドの立ち上げのための勉強会に会場や資料を提供する「ブランド支援」
・新入社員研修、分野別研修などにおける資料の提供
・文化資産マネジメントグループのメンバーが講師として出講する「人事研修」分野での活用
・商標権侵害などの訴訟に際して、証拠の出典となる資料を提供する「法務」支援
・国内外の支社・ストアへの協力

またSHISEIDO HISTORYと題した詳細なデジタル歴史コンテンツを開発し、今年(2016年)4月にはイントラネット上でグローバルに公開の予定です。

 資生堂企業資料館ではアーカイブズの社外利用にも積極的に取り組み、マスコミや研究者のために資料調査を行ったり原稿を提供する「PR/広報」での利用などで大きな成果を上げています。例えば、企業文化部と企業資料館は、米国MIT(マサチューセッツ工科大学)が提供するオンライン・コースに大きな貢献をしています。ここでは資生堂が提供した1910年代から1940年代にかけてのマーケティング資料、広告、企業PR誌といった歴史資料を用いて、第一線の学者・教育者たちが近代日本の歴史と文化に関するコースのための教材を開発しました。このサイトは2009年5月に公開され、MITのみならず、世界各地の大学や高校で教育目的のために利用されています。

Selling Shiseido I - MIT Visualizing Cultures
http://ocw.mit.edu/ans7870/21f/21f.027/shiseido_01/

 資生堂企業資料館はさらに1980年代以来、日本国外での展示も積極的に行ってきました。企業文化部と企業資料館はこれまで、アメリカ、フランス、オーストラリア、ブラジル、イスラエル、イタリア、イギリス、ベルギー、台湾、中国、カナダ、韓国、ロシア、ギリシア、スイス、ギリシア、ロシアでの展覧会に企業史資料を提供してきました。近年は新興国市場の支社・ストア支援ツールとして展覧会が位置付けられています。

新しい経営者と資生堂企業資料館

 過去10年間、国内における資生堂のマーケットシェアは大きく低下し、会社はマネジメントの交代が必要であると判断しました。2014年4月には新しい社長・CEOに魚谷雅彦氏が就任したのでした。日本の大手企業では、通常経営トップは「生え抜き」と呼ばれる管理職の中から選ばれるため、140年の歴史を持つ資生堂が戦後初めて社外からトップを招いたことを、人々とメディアは驚くべきこととして受け止めました。

 魚谷雅彦社長は就任直後に企業資料館を訪れ「資生堂は革新の連続があって今日があるということが分かった」と述べています。そして、新しく外から入ってくる社員には、まず資料館に行くように、と指示しています。私はその理由を、会社(資生堂)が長年にわたってビジネスを継続し発展させることができた要因を正確に記録するため、資生堂企業資料館がコレクションを構築し、それを展示という形で可視化してきたからからなのではないかと考えます。なぜなら、コカ・コーラ社ヘリテージ・コミュニケーション部門ディレクターであるテッド・ライアン氏の前任者、フィル・ムーニー氏が1986年に述べているように、「企業で保存される記録の種類はその組織自体の性格を反映する傾向がある。...アーキビストはその組織の全体性を表現するコレクションを構築しようと奮闘する」ものだからです 1。これは非常に重要なことです。

 資生堂企業資料館の成功の核には、専門教育を受け高レベルのスキルを持つ専門的なキュレーター・アーキビストを活用したハイブリッドな人事モデルがあります。企業文化部は、長期にわたって専門性を養った人材と日本的なジョブ・ローテーション型人材を巧みに組み合わせることで、キュレーション・アーカイブズ管理・歴史・刊行物の編集における経験と、業務や企業文化への理解・会社への帰属意識や愛着との間にシナジーを生み出しました。

 日本ではながらく、どんなに高い特別なスキルをもっていようとも、会社が中途採用することはとても珍しいことであるという状況が一般的でした。そのため、私は資生堂が企業文化部と経営トップの中に、終身雇用といったような日本の伝統に抵抗する部分を発見して、驚きつつも好感を持ちました。まず、企業資料館では立ち上げの初期からアーカイブズ管理のために専門的な訓練を受けた佐藤朝美氏が配置されてきました。さらに最近では、2013年2月に東京で開催された企業資料館主催のIRイベントで、当時の企業文化部長岡田恭子氏がたいへん誇らしげに「新しく雇用した専門的なキュレーター・アーキビスト」として小泉智佐子氏を私に紹介してくれました。

 企業文化部が資料館の成功に寄与しているもう一つの要因に、専門的キュレーター・アーキビストの高いリサーチ能力があります。一つの例は、企業文化部が1996年から2012年まで発行していた研究紀要『おいでるみん』です。ロングセラー商品にちなんで名づけられた『おいでるみん』は、「資生堂と文化」「化粧と文化」「文化の伝承」「文化発信活動」といったテーマでの研究成果を収めた、極めて高いレベルの学術刊行物です。このリサーチ活動において、佐藤氏は企画・編集担当として、自らリサーチを行いつつ、社内に蓄積された「知」を、各部署の担当者が顕在化するのを促し、また社外のアカデミックな研究者との協力関係を築いてきたのです。『おいでるみん』は前の経営陣の時代(2012年)に残念ながら廃刊になりましたが、刊行中は外部のアカデミック・コミュニティとの連携に重要な役割を果たし、MITとの連携といった具体的なプロジェクトや貴重な企業内知識の集積において重要な役割を果たしました。

図 2 - 『おいでるみん』

『おいでるみん』


おわりに

 魚谷社長は会社の歴史と資生堂企業資料館を重視しているように見えますが、企業文化部が会社のヘリテージをどのように活用していくのか、あるいは『おいでるみん』を新しい形で再スタートさせるのかどうかがはっきりするのは、これからです。しかし、新しいマネジメントの下で作成されたこの企業広告ビデオは、資生堂のイノベーションへの献身が今なお力強いことを表しているでしょう。

High School Girl? メーク女子高生のヒミツ (The Secret of High School Girls) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5n3Db6pMQ-8

広告専門のジャーナリストが選ぶ広告賞「エピカアワード」で資生堂のWEB動画「High School Girl? メーク女子高生のヒミツ」がグランプリを受賞 | 贄田 愛 | INFORMATION | 資生堂 HAIR&MAKE UP ARTIST | 資生堂グループ企業情報サイト
http://hma.shiseidogroup.jp/info/p20151203_8003/?artist=a_nieda


[注]

1 Philip F. Mooney, "The Practice of History in Corporate America: Business Archives in the United States," in Public History: An Introduction, ed. Barbara J. Howe and Emory L. Kemp (Malabar, Florida: Robert E. Krieger Publishing Company, 1986).

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