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『渋沢栄一伝記資料』第53巻
最終更新日: 2014. 3.25
公開日: 2013.12.24

第3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 (二十四)
- 第2部 実業・経済
- - 第3章 商工業(承前)
- - - 第16節 ホテル
- - - - 第1款 株式会社帝国ホテル(承前)

綱  文  【DK530105k】
大正15年7月13日(1926年)

是日、当ホテルニ於テ、栄一ノ寿像除幕式挙行セラル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
【 53巻 p.538〜540 】

目次詳細(綱文) | 資料リスト | 本文 | 著者別資料リスト | 公開の趣旨・凡例

 本文
   以下は上記綱文の典拠として『伝記資料』に収載された資料の本文です。

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵) 【第53巻 p.538】 DK530105k-0001 ページ画像

七月十三日 火 午前十一半時 帝国ホテル重役会(帝国ホテル)
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竜門雑誌  第四五五号・第七一頁 大正一五年八月 【第53巻 p.538】 DK530105k-0002 ページ画像

    青渊先生動静大要
      七月中
十三日 帝国ホテル重役会(同ホテル)
    帝国ホテル催青渊先生寿像除幕式(同ホテル)

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竜門雑誌  第四五五号・第八一〜八三頁 大正一五年八月 【第53巻 p.538-540】 DK530105k-0003 ページ画像

    帝国ホテル青渊先生胸像
    除幕式に於ける式辞
 著者没年不詳、および著作権保護期間中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
 冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

  大正十五年七月十三日
              株式会社帝国ホテル
                取締役社長 大倉喜七郎

    青渊先生の右答辞大要
 本日は誠に思ひも寄らざる光栄を私に与へられまして、御礼の辞なき次第であります。只今御朗読下さいました社長の式辞の中に、私が此ホテルの創設に際し、且又爾来の経営につき大層功労のあつた様な御言葉が御座いましたが、敢て当りませぬのであります。抑も此帝国ホテルは明治二十年頃、当時の大問題であつた諸外国との通商条約が改正締結せられて、外国人の我国に来るものが益々多くなる。然るに其宿泊すべき適当な旅宿がない、此れは国の体面上から申しても甚だ面白くないと云ふ訳で、当時の外務大臣井上馨卿・総理大臣伊藤博文卿が頻りに心配し、且つ勧誘せられ、宮中の厚い思召もあつて、我々同志のものが発起して、茲に此帝国ホテルを設立することになつたのであります。そこで愈ホテルを建てるとなると、其建物の様式に付て種々議論があつた。当時我々関係者の考として全然西洋の真似ばかりするのも面白くない、さりとて純粋の日本式では御客の外人が困まる事であらうと云ふ所から、基礎工事は洋式に則り、屋上は日本風、殊に古代建築を加味したらどうかと云ふので、当時政府が独逸より聘したエンデーボツクマン組合中の技術家及其部下の人々を態々京都奈良方面に旅行をさして、古社寺の建築法を研究せしめた事などもありました。斯くして前の焼けた建物が出来たのでありましたが、爾来着々穏健なる発展を遂げ、遂に今日の盛況を見るに至りましたのは、全たく時運の然らしむる所で、敢て私の功績ではないのであります。只当時私は偶然にも此仕事の中心位置に立つたと云ふに過ぎないにも拘はらず、斯の如き立派な像を御造り下さいました事は、呉々恐縮に感ずる次第であります。記憶が確かでありませぬが、宋の蘇東坡の或る文章中に智者始事能者述非一人而成也と云ふ句があります。即ち凡そ事業は一人の力にて為し遂げられるものでなく、先づ第一に計画創業する人ありて、其の次に能力ある人が此れを受け継ぎ、始めて大成するものであると云ふ意味と思ひます。私は敢て智者を以て任ずる訳ではありませぬが、とにかく帝国ホテルの創業に際し関係を致しました。=== ★★ここから第53巻 p.540 ★★ ⇒ページ画像 ===次ぎの社長として経営に任ぜられたのは今日此処に御列席の大倉男でありまして、能く之を承継し、更に三代目の現社長喜七郎君が今日の大を致されたのでありまして、私も其御蔭にて創業者たる名誉を荷ふ訳であります。故に私は今日御両君及現重役諸君に厚く感謝するのでありますが、同時に又諸君に於ても、時勢の進運に対して感謝せねばならぬと思ひます。御同様如何に辛苦経営しても、社会の進歩が満足でなければ事業の好況は望み得られぬものであります。
 私は茲に重ねて、今日の光栄を与へられた事を厚く御礼を申上げます。

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集会日時通知表  昭和二年       (渋沢子爵家所蔵) 【第53巻 p.540】 DK530105k-0004 ページ画像

七月十四日 木 正午     帝国ホテル決算協議会(同ホテル)

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竜門雑誌  第四六七号・第一一七頁 昭和二年八月 【第53巻 p.540】 DK530105k-0005 ページ画像

    青渊先生動静大要
      七月中
十四日 ○上略 帝国ホテル重役会(同ホテル)○下略

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集会日時通知表  昭和五年       (渋沢子爵家所蔵) 【第53巻 p.540】 DK530105k-0006 ページ画像

一月十日 金 午前十一、三〇 帝国ホテル重役会(当ホテル)
  ○中略。
七月十日 木 午前十一、半時 帝国ホテル重役会(帝国ホテル)

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竜門雑誌  第五〇三号・第五七頁 昭和五年八月 【第53巻 p.540】 DK530105k-0007 ページ画像

    青渊先生動静大要
      七月中
十日 帝国ホテル重役会(同ホテル)

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集会日時通知表  昭和五年        (渋沢子爵家所蔵) 【第53巻 p.540】 DK530105k-0008 ページ画像

七月廿六日 土 午前九時    帝国ホテルノ件ニ付馬越恭平氏来約(飛鳥山邸)
  ○中略。
十月二日 木 午前十一時    帝国ホテル小林氏来約(飛鳥山)

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集会日時通知表  昭和六年        (渋沢子爵家所蔵) 【第53巻 p.540】 DK530105k-0009 ページ画像

三月十一日 水 午前十一、半時 帝国ホテル取締役会(同ホテル)

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