←前の綱文 / 本文公開実験(帝国ホテル) / 次の綱文→


『渋沢栄一伝記資料』第14巻
最終更新日: 2014. 3.25
公開日: 2013.12.24

第2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 (十一)
- 第1部 実業・経済
- - 第3章 商工業(承前)
- - - 第27節 ホテル業
- - - - 第1款 株式会社帝国ホテル

綱  文  【DK140038k】
明治20年12月14日(1887年)

是日栄一、東京ホテル発起人総代トシテ大倉喜八郎ト連署シテ、日本土木会社内ニ仮事務所設置ノ件並ニ事務開始ノ件及ビ役員氏名ヲ東京府知事ニ届出ヅ。栄一理事長タリ。
【 14巻 p.380~382 】

目次詳細(綱文) | 資料リスト | 本文 | 著者別資料リスト | 公開の趣旨・凡例

 本文
   以下は上記綱文の典拠として『伝記資料』に収載された資料の本文です。

願伺届録  農商課会社明治二〇年ノ二 (東京府庁所蔵)  【第14巻 p.380~381】 DK140038k-0001 ページ画像

御届書
当会社建築中京橋区鎗屋町壱番地日本土木会社内江仮事務所設置、同所ニ於テ事務取扱候間、此段御届申上候也
              東京ホテル発起人惣代
=== ★★ここから第14巻 p.381 ★★ ⇒ページ画像 ===
                京橋区銀座三丁目三番地
  明治二十年十二月十四日        大倉喜八郎(印)
                深川区福住町四番地
                     渋沢栄一■■[img 図]印■
    東京府知事男爵高崎五六殿

    御届書
                 理事長  渋沢栄一
                 理事   大倉喜八郎
                 同    横山孫一郎
当会社定款第拾壱条第拾弐条ニ基キ右之通役員撰定仕候間、此段御届申上候也
              東京ホテル発起人惣代
                京橋区銀座三丁目三番地
  明治二十年十二月十四日       大倉喜八郎(印)
                深川区福住町四番地
                    渋沢栄一■■[img 図]印■
    東京府知事男爵高崎五六殿

【⇒資料リスト】 【ページTop↑】

中外物価新報  第一八九七号〔明治二一年七月二六日〕 【第14巻 p.381】 DK140038k-0002 ページ画像

○ホテル会社株主の協議 東京ホテル会社の株主たる渋沢・益田・大倉其他の諸氏数名は一昨日午後七時頃より坂本町なる銀行集会所の楼上に会し協議を遂げられたるが、是は目下内山下町に建築中なる東京ホテル会社建築事務に付ての相談なりと聞けり

【⇒資料リスト】 【ページTop↑】

中外物価新報  第一九三六号〔明治二一年九月九日〕 【第14巻 p.381】 DK140038k-0003 ページ画像

      建築廃止にあらず
昨今世上にてハ彼の渋沢・益田・大倉等諸氏の計画に係る内山下町に建築中のホテルハ今度全く廃止になりたりとて種々の噂を為すものあれど、実際決して左る事なく、最初の目算通り矢張り金二拾二万円を以て建設する筈なりと云へば、例の風説は又何かの誤聞なるべし

【⇒資料リスト】 【ページTop↑】

銀行雑誌 第一号・第六六頁〔明治二一年一〇月二八日〕 【第14巻 p.381】 DK140038k-0004 ページ画像

東京ホテルの建築木造に変ず 東京ホテル建築の発起人並に株主中の渋沢・原・西村・山崎・横山・佐々木並に蜂須賀家代理の諸氏は先日坂本町の銀行集会所を借り受け、同ホテル建築改正の件にて会議を開き、同ホテルは元来石造或ハ煉瓦にて建築の見込なりしも同建築地所ハ地底砂地にして到底其見込なきに付き、更に其摸様を一変し堅固なる木造の建物を設る事に決し散会したりとぞ

【⇒資料リスト】 【ページTop↑】

中外物価新報  第二〇三〇号〔明治二二年一月五日〕 【第14巻 p.381-382】 DK140038k-0005 ページ画像

    ホテルの建築工事
渋沢・益田・大倉等諸氏の計画に係る山下町のホテルの建築工事は今度いよいよ土木会社にて引受け、建築局技師渡辺譲氏に工事の監督方=== ★★ここから第14巻 p.382 ★★  ⇒ページ画像 ===を嘱托せしが、明年中を期して竣工の見込なりと聞く

【⇒資料リスト】 【ページTop↑】

中外物価新報  第二〇七〇号〔明治二二年二月二一日〕 【第14巻 p.382】 DK140038k-0006 ページ画像

    東京ホテル
資本金二十六万円(既払込金九万一千円)を以て東京山下門内に構造中の東京ホテルは建坪七百五十坪にして、食堂・会談室・舞踏室・遊戯室等の設け悉く備はらさることなく、実に日本第一のホテルなるが地形已に落成し目下専ら煉瓦の積立中なれば、明廿三年内国勧業大博覧会の開会迄にはセメテ下層だけなりとも竣功する様に相運はんとて工事監督技師渡辺譲氏及ひ工事を引受たる日本土木会社にては日夜勉強し居るよし

【⇒資料リスト】 【ページTop↑】

←前の綱文 / 次の綱文→



■■ デジタル『渋沢栄一伝記資料』公開の趣旨■■

■■ 『渋沢栄一伝記資料』全文テキスト公開方針 ■■

■■ 凡例 ■■
Ⅰ.『渋沢栄一伝記資料』(冊子版)凡例
  Ⅰ-1.凡例(昭和30年2月 土屋喬雄)より 【第1巻 p.14-16】
  Ⅰ-2.凡例追補(昭和35年3月 土屋喬雄)より 【第30巻 p.1】

Ⅱ.『渋沢栄一伝記資料』デジタルテキスト化に関する凡例
  Ⅱ-1.文字
  Ⅱ-2.漢字
  Ⅱ-3.記号、スペース、体裁など
  Ⅱ-4.図版中のテキスト

Ⅲ.デジタル『渋沢栄一伝記資料』本文ウェブ公開実験に関する凡例
  Ⅲ-1.資料リスト
  Ⅲ-2.本文
  Ⅲ-3.著者別資料リスト
  Ⅲ-4.ページ画像

【ページTop↑】


Copyright (c) 財団法人 渋沢栄一記念財団 / Copyright (c) Shibusawa Ei'ichi Memorial Foundation