渋沢栄一&アルベール・カーン
2人の実業家、日仏の交流
渋沢栄一とアルベール•カーンは、1897年、1902年、1908年の3回、会見をしました。
カーンは1897年の来日で初めて栄一と会い、栄一の自邸で開催された竜門社(当財団の前身となる団体)の総会に賓客として招かれました。1908年に来日した際には、栄一との再会を果たし、渋沢邸を訪れ、栄一が関係した養育院や日本女子大学を見学しています。
一方、栄一は1902年に東京商業会議所の会頭として欧米各地を歴訪した際にフランスも訪れており、日仏交流の一層の促進のためにカーンと再び会見しました。栄一はカーンの邸宅に招待されるなどの歓待を受け、「恍として身の海外万里の在るを忘る」と当日の感想を日記に綴っています。
その後も二人は、日本とフランスという遠く離れた地ではありましたが、金融・社会事業などを通じて交流を続け、渋沢史料館にはその証となる栄一とカーンの往復書簡も残されています。
渋沢栄一の略歴
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1840年に現在の埼玉県深谷市に生まれました。1867年に徳川昭武使節団の一員としてパリ万国博覧会を訪れ、西洋の進んだ産業や文化を肌で感じました。帰国してからはその経験を生かし、民間の立場から500社にのぼる株式会社、銀行などの設立、経営指導に尽力しました。また、国際親善や民間経済外交、社会公共事業などに取り組むなど、日本の近代経済社会の基礎を作りました。

アルベール・カーンの略歴
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1860年にフランス•アルザス地方に生まれました。苦学の末に、銀行家として成功を収めたのち、実業界で活躍したほか、「世界の人々がお互いを理解することは平和の基礎になる」 という信念のもとに、世界各地の学者たちを支援し、彼らを諸外国に送り出す「世界周遊奨学金制度」 を創りました。また、カメラマンを育成・派遣してフランス国内や、日本をはじめ世界約60ヵ国の様子をカラー写真と映像で記録しようとする「地球映像資料館」計画に力を注ぎました。 その写真の数は約8万枚で、映像フィルムは100時間にもおよびます。
みずからも世界中を旅したカーンは、特に日本という国に関心を持ち、1896年、1897年そして1908年と3回来日をしています。
そして、渋沢栄一や益田孝、大隈重信などの実業家・政治家をはじめ、北白川宮や朝香宮など皇族とも交流していますが、その存在はほとんど知られていません。
